岡澤セオン選手はアマチュアボクシングで注目の選手です。
所属が鹿児島県の団体であったこともあり、実家が鹿児島にあるのかと気になっている方が多くいます。
ハーフの選手なので、父母のプロフィールや経歴やについても気になります。
東京五輪を終え、今後プロに転向するのかと言う事に興味を持つ方も多くいます。
そこで今回は、岡澤セオン選手のプロフや経歴!実家は鹿児島?父母について!をテーマにご紹介します。
岡澤セオンのプロフィール
岡澤セオン選手はアマチュアボクシング選手です。
ボクシングを始めたのは高校時代からですが、すぐに日本トップの実力を身につけています。
アマチュアボクシングで世界の頂点を目指すべく、現在もトレーニングを続けています。
岡澤セオンの父母についてや実家は鹿児島?
岡澤セオンさんはハーフであり、お父さんがガーナ人で、お母さんが日本人です。
実家は山形市の飲食店で、「味の店スズラン」という地元で有名な名店です。
岡澤セオンは中学校までレスリング選手
岡澤セオンさんは中学までレスリングを練習していて、ボクシングとは縁がありませんでした。
ただ、運動神経抜群だったことは間違いなく、中学時代には駅伝の大会にも出場しています。
しかし、レスリングもボクシングと同じく「間合い」が重要なスポーツなので、ボクシングにレスリング経験が全く活きなかったということはありません。
もちろん、レスリングで肉体を鍛えていた事も大きいです。
高校でボクシングに転向した岡澤セオン選手ですが、短期間のうちに活躍が取り上げられる様になりました。
岡澤セオンの経歴
岡澤セオンさんは私立日大山形高等学校に進学しました。
この高校にはレスリング部はなく、入試で失敗したことや、高校で見た目が怖い先輩に声をかけられ、半強制的にボクシング部に入った事が、ボクシングを始めたきっかけでした。
大学は中央大学に進学しています。
岡澤セオンの所属は鹿児島からINSPAへ
就職先も決まっており、大学卒業後は普通に就職する予定だった岡澤セオン選手ですが、もう一度思わぬ偶然と出会いボクシングを続ける事になります。
鹿児島県体育協会が、国体に向けた強化指導員兼選手として岡澤セオン選手に声をかけました。
大学時代は国体2位だった岡澤セオン選手は、もう一度頂点への道を歩み始めます。
現在は所属を鹿児島県体育協会からINSPAという企業に移しています。
INSPAは全国でフィットネスジムやスパリゾートを運営している企業です。
アウトボクシングの得意な岡澤セオン
岡澤セオン選手はウェルター級で戦っています。
身長179cmのサウスポーです。
リーチが長くアウトボクシングに強いボクサーで、高校でボクシングを始めたにもかかわらず、インターハイで5位に入ったボクシングセンスも大きな武器でしょう。
岡澤セオンの戦績
岡澤セオン選手は高校時代インターハイ5位、大学時代は国体2位が最高成績でした。
社会人になってからは、2018年の全日本選手権で初めて頂点を掴みます。
初めての国際大会は2019年のアジア選手権で、銀メダルを獲得しました。
岡澤セオンは東京五輪で惜しくも敗退
2019年アジア選手権銀メダルの実績により、岡澤セオン選手は東京五輪代表に決まります。
東京五輪初戦の相手は、経験豊富なキューバのイグレシアス選手でした。
イグレシアス選手に勝てばメダルも視野に入る大会ですが、惜しくも判定2-3で敗れています。
岡澤セオンの今後
岡澤セオン選手は注目選手なので、五輪を終えた後プロに進むのかと気になっている方も多くいます。
しかし、プロボクサーに転向してしまうと、五輪に出場することはできません。
岡澤セオン選手は今後もアマチュアボクシングを続けていく意向なので、今後も応援していきましょう。
岡澤セオン選手のスパークリングがスゴイ♪
巧みなパンチに釘付けです^ ^
ボクシングするならコレ♪
注目のボクシング選手をもっとチェックしてみませんか?
こちらからご覧いただけます♪
パリ五輪を目指す岡澤セオン
岡澤セオン選手は東京五輪で惜しくも敗れてしまいましたが、若い選手です。
パリ五輪ではより一層の経験が加わり、選手として全盛期の岡澤セオン選手が見られることに期待したいですね。
「セオン」という名前はエジプト神話で「偉大なる強さ」を持つとされる神セトにちなんでいるので、岡澤セオン選手が名前に負けない強さを持てるよう願いましょう。
今回は、岡澤セオン選手のプロフや経歴!実家は鹿児島?父母について!をテーマにご紹介しました。