木村敬一はアメリカ人とのハーフ?目の状態や参加種目も気になる!

パラリンピック競泳の第一人者、木村敬一さん。

目前に迫った東京パラリンピック2020にも出場を予定しています。

そんな木村敬一さんですがアメリカ人とのハーフという噂が飛んでいるようです。

本当なんでしょうか。

全盲のスイマーとして知られていますが、目の状態はどうなんでしょう。

そこで今回は木村敬一さんについて調査しまとめました。

これまでの国際大会での成績などもご紹介します。

 

木村敬一のプロフィールを確認しよう!

木村敬一さんについてご存じない方もいるかも知れません。

まずはプロフィールをチェックしましょう。

木村敬一のプロフィール

 

木村 敬一(きむら けいいち、1990年9月11日 - )さんは、滋賀県栗東市出身の日本の競泳選手です。

2008年北京パラリンピック・2012年ロンドンパラリンピック・2016年リオデジャネイロパラリンピックの競泳競技に日本代表として参加し、ロンドンとリオでは銀メダルと銅メダルを獲得しました。

愛称は「キム」。

先天性疾患による網膜剥離で2歳のときに全盲になります。

母の勧めで10歳のときに水泳を始めました。

2003年、小学校卒業と同時に上京します。

筑波大学附属視覚特別支援学校(旧:筑波大学附属盲学校)に入学して、同校水泳部で頭角を現しました。

高等部在籍中の2008年に北京パラリンピックに出場を果たします。

2009年4月に日本大学文理学部へ進学。

健常者の水泳同好会に入会しました。

同大卒業後、日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程へ進学します。

大学4年生時に出場したロンドンパラリンピックでは旗手を務めました。

ロンドン以降は日本大学文理学部教授の野口智博コーチ(元200m自由形日本記録保持者)に師事しています。

週10回のパーソナルトレーニングでリオでの金メダル獲得を目標に厳しい練習を積んだ結果、銀メダル2個、銅メダル2個の快挙を成し遂げました。

現在は東京ガス株式会社の人事部に在籍しています。

日本パラリンピアンズ協会 (PAJ) の理事も務めています。

国際大会での種目別成績は?

木村敬一さんの国際大会での成績は次の通りです。

2005年8月「国際視覚障害者スポーツ協会世界ユース選手権大会」の水泳競技

50m自由形 金メダル
100m自由形 銀メダル
100m平泳ぎ 銅メダル

2008年9月北京パラリンピック

100m自由形 S11 5位
100mバタフライ S11 6位
100m平泳ぎ SB11 5位

2010年IPC世界水泳選手権大会アイントホーフェン

100m平泳ぎ SB11 銀メダル
200m個人メドレー SM11 銅メダル
100m自由形 SB11 銅メダル
100mバタフライ SB11 銅メダル

2012年9月ロンドンパラリンピック

100m平泳ぎ SB11 銀メダル
100mバタフライ S11 銅メダル
100m自由形 S11 5位
50m自由形 S11 5位

2013年IPC世界水泳選手権大会モントリオール

100m自由形 SB11 金メダル
100m平泳ぎ SB11 金メダル
50m自由形 S11 銀メダル
200m個人メドレー SM11 銅メダル
100mバタフライ S11 銅メダル

2015年IPC世界水泳選手権大会グラスゴー

100m平泳ぎ SB11 金メダル
100mバタフライ S11 金メダル
50m自由形 SM11 銀メダル
200m個人メドレー SM11 銅メダル

2016年9月リオデジャネイロパラリンピック

50m自由形 S11 銀メダル
100m平泳ぎ SB11 銅メダル
100mバタフライ S11 銀メダル
100m自由形 S11 銅メダル
200m個人メドレー SM11 4位

パラリンピックには3大会連続で出場しています。

東京パラリンピック2020にも出場を予定しているので、4大会連続出場ということになります。

凄いですね。

木村敬一はアメリカ人とのハーフなの?

木村敬一さんの父は木村稔さんという方です。

そして母は木村正美さん。

あれ?アメリカ人の要素はないですねえ。

まあそれは当然で木村敬一さんはハーフではないんです。

バリバリの日本人なんですね。

ではどうしてそのような誤解が広まったのでしょうか。

それは木村敬一さんがより良い練習環境を求めてアメリカに活動の拠点を移したからかも知れません。

木村敬一さんは2018年5月から練習拠点をアメリカ東部のメリーランド州ボルティモアに定めました。

Twitterでは英語のツイートも多いので勘違いされたのでしょう。

 

目の状態はどうなの?

木村敬一さんはよちよち歩きを始めた頃から、机などよく物にぶつかっていました。

心配した両親が小児医療センターに連れていき医師の診断を仰ぎます。

診断結果は厳しいものでした。

「増殖性硝子体網膜症です。治療をしても見えるようにはなりません。盲児として育てて下さい」

それでも両親はあきらめきれず、1993年、2歳4カ月から4カ月間に渡って入院し、全身麻酔で手術を繰り返します。

最後となった3度目の手術が終わり、眼帯を外した時の息子の声を、母親の正美さんは今も忘れられないそうです。

「真っ暗だ。電気付けて」

木村敬一さんはこのときから全盲状態となります。

木村敬一が出場するパラリンピックはいつから始まった?

そもそもパラリンピックはいつから始まったのでしょうか。

パラリンピックの始まりとされているのは1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた「ストーク・マンデビル競技大会」とされています。

ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦で脊髄を負傷した兵士専門のリハビリ科があり、ルートヴィヒ・グットマン医師の提唱で、車いす患者16名(男子14名、女子2名)によるアーチェリー大会が開催されました。

これが現在まで繋がるパラリンピックの始まりです。

現在「第1回パラリンピック」とされているのは1960年のローマ大会です。

そして「パラリンピック」という名称が正式名称になったのは1988年のソウル大会からです。

割と最近のことなんですね。

 

名言出るか?東京パラリンピック

以上、全盲のスイマーとして知られる、パラリンピック競泳の第一人者、木村敬一さんについて見てきました。

木村敬一さんと言えばリオのパラリンピックで三日連続メダルを取るも、「4つのメダルより、1個の金メダルが欲しかった」と言う情熱的な悔しさを吐露した事もあるスイマーです。

東京パラリンピックでは、嬉しい方面での名言を期待して応援しましょう。

これまでテレビ放送が少なかったパラリンピックですが、「東京パラリンピック2020」では多くの競技が放送される予定です。

これを機会に障害者スポーツにもスポットライトが当てられるでしょう。

「東京パラリンピック2020」は2020年8月25日から9月6日まで開催されます。

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