Jリーグ初期からプロサッカー選手として出場し、世界を股にかけて活躍したゴールキーパーである川口能活さん。
2018年に惜しまれながらも現役を引退していますが、現在はサッカー指導者としてサッカー界を盛り上げる活動をしており、その活躍に注目が集まっています。
その川口能活さんの若い頃の年棒や評価、引退後の現在の年収が気になりますね。
また、プロサッカー選手として長い間現役でしあが、がんや病気などを患ったことはあるのでしょうか。
今回は、ゴールキーパーとして活躍した川口能活さんの若い頃の年棒や評価、引退後の年収、がんや病気などを患ったことはあるのかなどについてまとめました。
川口能活とは:元日本代表のゴールキーパー
名 前:川口能活(かわぐち よしかつ)
出 身:静岡県出身
誕生日:1975年8月15日
年 齢:44歳
職 業:サッカー指導者
肩 書:元日本代表サッカー選手
川口能活さんは、元日本代表のサッカー選手です。
ポジションはゴールキーパー(以下GK)です。
世界的なサッカー選手であり、様々な国際大会で日本代表を務め、ヨーロッパのサッカーリーグで活躍しています。
川口能活の経歴:横浜マリノスに加入
川口能活さんは1975年に静岡県で誕生しています。
小学生時代からサッカーを始めており、様々なポジションを経た後にGKとして活動することを選択しています。
その実力は高く、「東海大学第一中学校」から「清水市立商業高校」へとサッカーの強豪校に進学し、全国レベルでも並外れた力量を発揮しています。
1994年に神奈川のサッカーチームである「横浜マリノス」に加入し、GKとして活躍する中で、チームのキャプテン格の存在としてチームをけん引しています。
川口能活の経歴:世界を股にかけて活躍
川口能活さんは、ワールドカップの日本代表の選手としても4大会連続で出場しています。
1998年…フランス大会
2002年…日韓大会
2006年…ドイツ大会
2010年…南アフリカ大会
特に、2006年のドイツ大会のオシムジャパン・2010年の南アフリカ大会の岡田ジャパンではキャプテンに選出されています。
またヨーロッパのサッカーチームに移籍してプレーしていた事もあります。
2001~2003年…ポーツマスFC(所在地:イギリス)
2003~2004年…FCノアシェラン(所在地:デンマーク)
川口能活の現在
川口能活さんは2005年にジュビロ磐田に加入しており、そこから9年間に渡って活躍しています。
その後、FC岐阜からSC相模原へと移籍を行い、2018年に現役引退しています。
現在はサッカー指導者として活躍しており、またサッカーの試合の解説としても活躍しています。
川口能活の若い頃の年棒や評価
川口能活さんは一流のサッカープレイヤーであり、様々な記録を保持しています。
その主な記録は、次の通りです。
1995年…新人王
1996年…日本年間最優秀選手賞
2001年…FIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン
2004年…アジアカップ2004ベストイレブン
2006年…Jリーグベストイレブン
2013年…Jクロニクルベストベストイレブン
たびたびベストイレブンに選出されている川口能活さんですが、若い頃の年棒は評価はどういったものだったのでしょうか。
川口能活の若い頃の年棒
川口能活さんはJリーグやヨーロッパのサッカーチームの選手として活躍していましたが、その年棒はどれくらいなのでしょうか?
その一覧表は、以下の通りです。
1995年 …1000万
1996年 …2000万
1997年 …3000万
1998年 …4000万
1999年 …5000万
2000年 …5000万
2002年 …7000万
2004年 …6500万
2006年 …6000万
2007年 …6000万
2008年 …6600万
2009年 …1億
2010年 …1億
2011年 …3000万
2012年 …3500万
2013年 …3500万
2015年 …3000万
2017年 …1000万
2018年 …1000万
参考: Money Search(http://money-search.org/sports/soccer/kawaguchi-yoshiktsu)
平均年棒は約4400万円であり、総合計は11億円を超えています。
一般的にJリーグ選手の平均年収は、2110~2805万円との試算も出ています。
参考:給料BANK(https://kyuryobank.com/sports/footballplayer.html)
やはりそれよりも高いことが窺えます。
川口能活さんの若い頃の評価
川口能活さんは現役時代にカッコいいキャッチコピーが付けられています。
◯炎の守護神
◯魂の守護神
いずれも守備の要であるGKとして、高く評価されていたことが窺えます。
GKとしての実力の高さもありますが、特にキャプテンとしてチームをまとめていたことに対して高い評価が下されており、守備のみならずチームの要であったとされています。
川口能活の引退後の年収
川口能活さんは2018年12月2日に行われた鹿児島ユナイテッドFC戦を最後として、サッカー選手を現役引退しています。
また自身の今後について、以下のように語っています。
【会見要旨】引退表明の川口能活「決断は後悔していない。次は指導者として経験を伝えたい」
――今後については、どのように考えているか。
自分はやっぱりサッカーでここまで、人生を歩んできたので、やはり現場で、指導者として、自分の経験したことを伝えたい。サッカーは常に進化していますから、自分も指導者として、そのための勉強をしていきたい。指導者としての歩みを始めたいと思っています。引用元:サッカーキング(https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181114/863315.html)
その発表通り、現在はサッカーの指導者として活動しています。
◯世代別代表チーム
◯JFAアカデミー福島、
◯トレセンGKキャンプ
さらに、サッカーの試合の解説などを行っています。
さて、現在での川口能活さんの収入はどれくらいなのでしょうか。
川口能活の引退後の収入:サッカー指導者
サッカーのコーチ・指導者の年収はかなり幅がありますが、一般的なクラブでのコーチは平均年収は約500万円とされています。
参考:サッカーのみちしるべ(http://kiko99.org/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%81%AE%E5%B9%B4%E5%8F%8E%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%90%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E5%88%A5%E3%80%91/)
しかし、複数のサッカーチームの指導者を務めており、スーパースターとして活躍していた実績を考えると、平均よりははるかに高いのではないのでしょうか。
川口能活の引退後の収入:サッカー指導者以外
川口能活さんは指導者以外の活動も行っています。
◯著書
◯サッカーの試合の解説
◯講演会
ただ、あまり多くの数はこなされていないので、100~200万円くらいではないかと推測されます。
しかし、今後指導者として活躍する中でこうした機会も増えていくのではと思われます。
川口能活の引退後の収入:アスリート委員会就任
また、川口能活さんは2020年3月に、日本サッカー協会が新設した「アスリート委員会」に就任しています。
反町康治氏がJFA技術委員長に就任へ、川口能活氏が新設“アスリート委員長”内定
日本サッカー協会(JFA)は14日、2020年度の第3回理事会を行った。理事、常設委員会委員長、常設委員会委員長の予定者リストが提出され、現場トップの技術委員長に前松本山雅FC監督の反町康治氏、新設のアスリート委員会に元Jリーガーの川口能活氏が新任として名を連ねた。
引用元:ゲキサカ(https://web.gekisaka.jp/news/detail/?299672-299672-fl)
こちらの収入は報道されていない模様ですが、恐らくは300~500万円ぐらいなのではと推測されます。
そこで、以上を総合して考えると川口能活さんの年収は1500~2000万円くらいなのでは、と推測されます。
川口能活が患った病気やがん
川口能活さんは24年間プロサッカー選手として活躍していましたが、その間に病気やがんなどを患ったことはあるのでしょうか。
調べてみた所、内科的な病気やがんなどを患った経験はない模様です。
ただ、スポーツ選手としての怪我はありました。
◯2009年…右すね骨折
◯2012年…アキレス腱断裂
いずれも復帰には長い年月がかかったとされています。
川口能活が経験した怪我
アキレス腱断裂は、長く所属していたジュビロ磐田を退団しなければならない程の怪我であり、川口能活さんはその時の苦悩を以下のように語っています。
怪我、解雇、そして… 川口能活が告白する「3つのターニングポイント」とは
「特に右すねのケガは、その後の契約にもつながる分岐点だったと思います。復帰までに約1年かかり、パフォーマンスが上向きになってきたところで、今度はアキレス腱を断裂(12年)。今度は復帰後も自分がイメージするプレーになかなか戻れなくなり、13年のシーズンをもって、ジュビロとの契約も終わりました。解雇を告げられたショックは勿論、大きかったけれど、結果を残せなかったのだからクラブとしては当然の判断。それよりも、次のチームが決まるまでの1か月が苦しかった」
これが、川口にとって「次のチームが決まらない」という初めての経験となる。ちょうど2人目の息子も生まれた時期とも重なり、家族を養う父親としても先の見えない不安に苦しんだ。
引用元: THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト(https://the-ans.jp/course/12382/)
その後はラモス瑠偉さんが監督を務めるJ2のFC岐阜に所属していますが、その当時はかなり悩んでいたことが明かされています。
やはりスポーツ選手は怪我とどう付き合っていくのか、ということも課題の一つなのでしょう。
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川口能活の今後の活躍に注目
現役を引退した川口能活さんですが、現在はサッカー指導者として様々なチームで指導していたり、アスリート委員会に就任などサッカー界を盛り上げる活動に従事しています。
その活動は今後のサッカー界にどのような影響を与えるのか、注目が集まります。
今回は、ゴールキーパーとして活躍した川口能活さんの若い頃の年棒や評価、引退後の年収、がんや病気などを患ったことはあるのかなどについてまとめました。