槙原寛己さんは、元読売ジャイアンツの投手です。
平成で唯一、完全試合を成し遂げたことでも有名です。
そこで、今回は槙原寛己さんについて、取り上げたいと思います。
高校時代の活躍や、現役時代の成績や年俸の推移。
また、息子さんや娘さんなど、ご家族についても見ていきます。
完全試合を達成した際の動画も掲載したので、どうぞ最後までお読みください。
槙原寛己のプロフィールと経歴
槙原 寛己(まきはら ひろみ)さんは、愛知県半田市出身の、元プロ野球選手(投手)です。
現在は、野球解説者や野球評論家、タレントとして活動しています。
血液型はB型。
斎藤雅樹さん、桑田真澄さんとともに、1990年代の読売ジャイアンツを支えた先発3本柱の一人です。
愛称は、「マッキー」「マキさん」「ミスター・パーフェクト」など。
所属事務所は、ノースプロダクション→オールラウンド。
1994年5月18日、史上15人目の完全試合を福岡ドームで達成しており、日本プロ野球における平成唯一の完全試合達成者です。
槙原寛己の高校時代
大府高校在学時から、同期の工藤公康さん(名古屋電気高校→西武6位指名)や、浜田一夫さん(愛知高等学校→中日2位指名)とともに、愛知三羽烏と呼ばれ剛速球投手として有名でした。
1981年の第53回選抜高等学校野球大会に出場し、ストレートが当時の甲子園最速記録となる147km/hをマークします。
当然、工藤さん、浜田さんと、同年のドラフトの目玉の一人と注目されました。
しかし、「子供の頃からファンだった巨人か地元球団の中日以外の指名なら社会人野球に進みます」と逆指名宣言をしていた事もあってか、ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名され入団を果たします。
槙原寛己の完全試合
読売ジャイアンツに所属していた槙原寛己さんは、1994年5月18日に日本プロ野球では今井雄太郎さん(阪急ブレーブス)以来、16年ぶり、史上15人目となる完全試合を記録しました。
試合の序盤は、速球主体でストライクを先行させる投球、そして7回以降はスライダーとフォークを決め球に使う投球に切り替えました。
試合終了後のインタビューでは、「もう、なんか夢の中ですね。本当にね、あの、ピッチャーやった人はみんな憧れるものですから。ピッチャーやってて良かったなと思います」と、喜びを爆発させています。
1993年オフには、槙原さんはフリーエージェントを宣言します。
しかし、バラを抱えて自宅を訪問した当時監督の長嶋茂雄さんの猛アタックもあり、チームへ残留を決めていました。
記録翌日の読売新聞記者によるインタビューでは、「巨人に残って、本当に良かったよね」と、しみじみ呟いたそうです。
当日の長嶋さんは、あえて槙原さんに言葉をかけず、静かに戦況を見守っていました。
そして、完全試合を記録した後に、槙原さんをベンチ前で抱擁して迎えました。
■槙原寛己 完全試合達成9回表(H6.5.18 G+)
ちなみに、槙原寛己さん完全試合の裏側が、よくわかる動画も発見しましたw
槙原寛己の現役時代の成績
槙原寛己さんの年度別投手成績は次の通りです。
1983 巨人 31 3.67 124 66
1984 巨人 27 4.70 114 72
1985 巨人 14 4.00 57 46
1986 巨人 22 2.29 125 29
1987 巨人 21 3.40 132 38
1988 巨人 27 2.16 187 43
1989 巨人 21 1.79 141 33
1990 巨人 17 3.96 87 32
1991 巨人 17 3.39 152 59
1992 巨人 25 3.58 159 80
1993 巨人 28 2.28 175 53
1994 巨人 29 2.82 153 49
1995 巨人 26 2.88 145 44
1996 巨人 18 4.12 92 53
1997 巨人 25 3.46 115 36
1998 巨人 36 3.98 77 23
1999 巨人 45 2.83 55 11
2000 巨人 21 4.12 20 6
2001 巨人 1 0.00 1 0
槙原寛己の年俸の推移
槙原寛己さんの年俸の推移は次の通りです。
1981 巨人 4000万円(契約金)
1982 巨人 260万円
1983 巨人 300万円
1984 巨人 900万円
1985 巨人 1140万円
1986 巨人 1200万円
1987 巨人 2040万円
1988 巨人 3060万円
1989 巨人 4260万円
1990 巨人 6900万円
1991 巨人 7630万円
1992 巨人 7140万円
1993 巨人 7800万円
1994 巨人 1億2000万円
1995 巨人 1億7000万円
1996 巨人 1億7000万円
1997 巨人 1億6000万円
1998 巨人 1億6000万円
1999 巨人 2億1000万円
2000 巨人 2億2000万円
2001 巨人 1億6500万円
槙原寛己の家族
槙原寛己さんは、1988年頃に結婚しました。
お相手の女性は、一般の方でお名前は恵美子さんです。
お子さんは一男一女で、長女がかほりさんで、長男が周磨さんと言います。
2020年現在で、かほりさんが31歳、周磨さんが25歳になります。
周磨さんの名前は、高校や大学野球では見ることがないので、野球の道には進まなかったようです。
槙原寛己はコーチにならないの?
槙原寛己さんは、現在は野球解説者やバラエティ番組で活躍しています。
しかし、完全試合を成し遂げるほどの大投手で、当時の巨人の3本柱の1人だったのですから、コーチや監督の声がかかってもおかしくないですよね。
ところが、それは無理との噂もあります。
噂の根拠は、槙原寛己さんは1993年のオフに、フリーエージェント宣言をしているからと言う事です。
結局、巨人に残留し引退まで過ごしましたが、球団サイドから見れば一度出ていこうとした選手ということになるとか。
特に巨人は、一度出ると戻れない球団として知られているので、槙原寛己さんにコーチや監督のオファーは来ないとの噂です。
噂が嘘か誠がわかりませんが、1度はコーチとしての槙原寛己さんを見てみたいですよね。
ジャイアンツの先発3本柱は、もはや伝説ですね!
投球術の本も出されていて、理論派の1面も見せてくれています。
元プロ野球選手で活躍されている方は、トークが楽しい方も多いですよね^^
槙原寛己の現在
以上、槙原寛己さんについて見てきました。
槙原寛己さんは、現役時代には20億円も稼いだそうですが、そのほとんどを株式の取引などに使ってしまったそうです。
そのため、夫人の恵美子さんは、かなりご不満なんだとか。
根っからの勝負師なのかもしれませんね。
ただ、現在でも年収は2000万円ほどあるそうなので、生活は楽でしょうね。