髙山樹里さんは現役時代、ライズボールを武器に活躍していたソフトボール選手です。
現役を引退していますが、現在もソフトボールに関わっています。
しかも現役後の経歴を見ると、ソフトボールの世界以外でも様々な活躍をしている事が分かりました。
そのバイタリティや実績に高い評価も寄せられています。
最近結婚したという情報もあり、旦那さんがどんな方か気になりますね。
そこで今回は、髙山樹里のライズボールが凄い!現在までの経歴や評価!結婚した旦那について!をテーマに調査しました。
髙山樹里のプロフィール
高山樹里さんは五輪でも活躍した元ソフトボール選手です。
スポーツ万能で、幼少期は水泳や柔道も習っていました。
そのため、柔道黒帯でもあります。
髙山樹里の経歴
髙山樹里さんの出身高校は強豪校の埼玉栄高等学校です。
高校入学当時はバッターとしての面に力点が置かれていましたが、有名な選手ではありませんでした。
投手転向後もすぐエースになれたわけではありません。
しかし、そのおかげで自由に練習でき、武器のライズボールを磨く事ができたと述べています。
髙山樹里のライズボールが凄い
髙山樹里さん最大の特徴は、ソフトボール特有の浮き上がるライズボールです。
投げ方を細かく指導されたわけではなく、回転を意識して髙山樹里さんが練習を重ねて素晴らしい武器となりました。
オリンピックでは3大会に出場し、銀と銅メダルを1個ずつ獲得、髙山樹里さん個人で8勝をあげています。
今でこそ世界一になっているソフトボールですが、世界トップでなかった頃から競技をしていた髙山樹里さんは、現在の強豪日本の礎となった選手の一人とも言えるでしょう。
髙山樹里の運動能力の評価
髙山樹里さんは2009年、ボブスレーで2010年のバンクーバー五輪を目指すと発表しました。
それまで競技経験はありません。
それでも日本ボブスレー・リュージュ連盟が髙山樹里さんを招聘しているわけですから、髙山樹里さんの運動能力が高い評価を受けていた事は間違いないでしょう。
残念ながら日本代表としてボブスレーで五輪出場する事はかないませんでしたが、その後さらにスケルトンにも挑戦しています。
髙山樹里の競技人生を支えた会社
髙山樹里さんは大学卒業後、1999年から豊田自動織機に入社しました。
髙山樹里さんはこの会社に大変お世話になったと述べており、冬季五輪挑戦を支えてくれたのもこの会社が理解を示してくれたおかげです。
もちろんソフトボール競技引退後など、会社員として従事していた時期もあります。
髙山樹里は車椅子ソフトの監督
髙山樹里さんは現在、一般社団法人日本車椅子ソフトボール協会で会長となりました。
ソフトボール教室を開催する一方、車椅子ソフトボールチームの監督もしています。
JADA(日本アンチドーピング機構)のアスリート委員でもあり、現在もスポーツ界へ多大な貢献をしていますね。
髙山樹里の現在の活動
髙山樹里さんは現在、ナチュラルリュージュという競技でもチームを作り代表となりました。
自身も監督として五輪に出たいと意欲を示します。
さらに、トータル・オリンピック・レディス会という、女性オリンピアンの集まりでも会長という立場です。
ソフトボールを中心に、色々な活動に精を出し多忙な日々を送っている事が分かります。
男性4人とシェアハウスをしていた髙山樹里
髙山樹里さんは、プライベートでは一時男性4人とシェアハウスをしていた事がテレビなどで明らかになりました。
しかも、その男性4人は全員アメフトの選手、その男性たちの料理を髙山樹里さんが作っていたというのですから驚きます。
一カ月にお米は30kgも使うというのですから、料理を準備するだけで大変な事は間違いありません。
髙山樹里が結婚した旦那について
髙山樹里さんは2018年に結婚しました。
仕事をしていながら、現在も旦那さんのために料理を作っています。
この旦那さんも大食漢で、カレー12皿を一度に食べてしまうというのはびっくりですね。
名前などは情報が出ていませんが、旦那さんはスポーツ選手ではなくイオンで働く会社員と話していました。
夫婦の間にお子さんはいません。
髙山樹里さんはソフトボール界のスーパーエース♪
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髙山樹里の活動に注目
髙山樹里さんはソフトボール引退後、冬季競技にもチャレンジしていました。
現在は様々な組織で責任ある役職についており、幅広く活躍しています。
結婚したことで、公私ともに非常に充実している様子が伺えます。
今回は、髙山樹里のライズボールが凄い!現在までの経歴や評価!結婚した旦那について!をテーマに調査しました。