塩沼亮潤さんは千日回峰行という非常に厳しい修業をされた事が知られる大阿闍梨です。
千日回峰行を終えた時には、ニュースでその偉業や評判が報じられました。
これだけ厳しい修業をされた方なので、仏門に入るまでどの様な経歴をたどってきたのかや、結婚しているのかといった点も気になりますね。
そして、塩沼亮潤さんは脳梗塞といった脳の病気ではという噂も出ています。
今回は、塩沼亮潤の経歴や評判!脳の病気(脳梗塞)がある噂について!結婚はしてる?をテーマにご紹介します。
塩沼亮潤のプロフィール
塩沼亮潤さんは仙台市出身。
小さい頃に延暦寺の千日回峰行を2度満行したことで知られる酒井雄哉さんという僧侶の存在を知ります。
自らも千日回峰行に憧れるようになったということで、ご覧になったテレビ番組にかなり強いインパクトを受けたことがわかりますね。
長年の修行を経て、現在は地元・仙台市に戻られています。
塩沼亮潤は高校卒業後に出家
塩沼亮潤さんは東北高校を卒業後、奈良県の総本山金峯山寺で出家されました。
これにより、小さい頃から志していた修験道の道へ進まれます。
高校を卒業されてから資金を貯めて仏門に入られているので、修験道への強い意志を感じます。
塩沼亮潤は金峯山修験本宗の僧侶
塩沼亮潤さんが若い頃を過ごし、過酷な修業を積まれた金峯山修験本宗は、特定の宗派に属しているお寺ではありません。
いわゆる「修験道」のお寺です。
現在も金峯山修験本 宗紫雲山 慈唱院では体験修業などを受け付けています。
塩沼亮潤の千日回峰行とは
塩沼亮潤さんの修行として最もよく知られるのは、千日回峰行です。
塩沼亮潤さんが小さい頃にテレビで見られたのは天台宗の千日回峰行ですが、挑まれたのは金峯山修験本宗金峯山寺の行でした。
行の内容は、往復48kmの山道を歩きながら道中の神社などで般若心経を唱えるという一日を、1,000回繰り返すというものです。
行だけで長時間を要するため睡眠不足になることは必至な上、食事制限から栄養不足にもなります。
さすがに1,000日続けては本当に死んでしまう修行で、実際には年間4カ月の行を9年かけて1,000日の行とします。
塩沼亮潤さんは1991年に第一日目をスタートし、1999年9月にこの荒行を無事終えられました。
塩沼亮潤は四満行にも成功
塩沼亮潤さんは千日回峰行満行後も厳しい修験道の道で精進なさいます。
2000年には四無行という、「食べない・飲まない・眠らない・横にならない」という4つの禁止事項を9日間守るという非常に過酷な修業をなさいました。
こちらも当然、死と隣り合わせの危険な修行です。
塩沼亮潤は仙台市で寺を建立
塩沼亮潤さんは千日回峰行などを終えた後、仙台市に戻られ慈眼寺というお寺を建立されました。
現在はこちらの住職として活動されています。
東北の震災復興などにも力を注いでおられ、地元で高い崇敬の念を受けられています。
塩沼亮潤の著書
塩沼亮潤さんは自らの経験などをもとに、何冊かの著書を出版されています。
・『心を込めて生きる 超人的修行を遂げた大阿闍梨の生き方』(2015)
・『縁は苦となる苦は縁となる』(2016)
竹田恒泰さんとの共著もあり、日本古来の伝統を大切に思う価値観などで多くの共通点をお持ちです。
テレビ出演で発覚した病気が心配される塩沼亮潤
塩沼亮潤さんは非常に高名な僧侶なので、テレビで取り上げられたことも少なくありません。
NHKの番組に出た際には、白血球が普通の人に比べて非常に少ないという診断結果も放送されています。
脳の一部に欠損が見られるという結果も出ており、過酷な修行の副産物である可能性も否定できません。
ただし現在のところ塩沼亮潤さんは深刻な病気などで入院しているといったニュースは報じられていません。
塩沼亮潤のプライベート
僧侶の方でも結婚なさる方はいらっしゃいますが、塩沼亮潤さんの結婚の情報はありません。
一方、プライベートではマラソンをしている様子です。
画像を確認するとマラソンの際は塩沼亮潤さんも法衣ではなく、Tシャツ姿で挑まれています。
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厳しい修験道を極めた塩沼亮潤
塩沼亮潤さんは厳しい修験道の荒行を経て、現在は地元で住職をなさっています。
千日回峰行を終えられる方は徳の高い僧侶でも非常に少なく、その経験から語られる説法は大変人気でYou Tube配信もされています。
今回は、塩沼亮潤の経歴や評判!脳の病気(脳梗塞)がある噂について!結婚はしてる?をテーマにご紹介しました。