平松愛理の経歴や学歴!死亡しかねない病との闘いの結果!出身地や実家はどこ?

平松愛理さんは90年代前半・平成初期を代表するシンガーソングライターですが、令和になった現在も音楽活動を続けてファンを楽しませてくれています。

昔は音楽番組以外でテレビ出演することもありましたが、最近は単発ゲストとして時折出演しているので、平松愛理さんがどんな経歴の持ち主なのか知らない若い方もいらっしゃいます。

平松愛理さんは地元に対する思いを強く音楽活動をされているため、若い頃の出身地や実家・学歴について興味を持つ方も多いです。

活動を続けていく中で、かつては死亡するリスクもある病気に悩まされたこともありました。

今回は、平松愛理の経歴や学歴!死亡しかねない病との闘いの結果!出身地や実家はどこ?をテーマにまとめています。

 

平松愛理のプロフィール

平松愛理(ひらまつ えり)

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本 名:平松 絵里(読み方同じ)
誕生日:1964年3月8日
出身地:神戸市
学 歴:私立親和高校→神戸海星女子学院大学卒業
所 属:ひらまつ堂・テイチクエンタテインメント(レーベル)
職 業:シンガーソングライター・作詞家・作曲家

平松愛理さんは幼少期からオルガンやピアノに親しみ、中学校ではコーラス部に入っていました。

お兄さんが洋楽好きなことも、平松愛理さんの音楽の才能にプラスになった可能性が高いですね。

高校で軽音楽部に入りバンドを組み、学園祭でオリジナルソングを披露した経験を通して、将来プロのミュージシャンとして活動する意識が強くなりました。

平松愛理の実家は須磨区の平松医院

平松愛理さんのお父さんは須磨区で平松医院というクリニックを経営していました。

神戸らしいおしゃれな洋風建築の外観をした建物は今も残っていますが、現在は医院の名称も変わり、別の方が内科クリニックを運営しています。

平松愛理さんは中学校から大学まで私立に通っており、比較的裕福な家庭であると想像できます。

平松愛理は高校在学中にバンド結成

平松愛理さんは高校在学中に「ERI & WONDERLAST」というバンドを結成しました。

ギターは古川昌義さん、キーボードは森俊之さん、ドラムは山下政人さんです。

このバンドは平松愛理さんが大学に進学してからも引き続き、関西でアマチュアとして活動を続けました。

高校の時に結成したグループのメンバーが全員、現在でも音楽関係の業界で仕事に就き名前が知られているのはすごいことですね。

平松愛理さんの上京に伴って「ERI & WONDERLAST」の活動はなくなり、その後平松愛理さんは東京でブレイクを果たすことになります。

 

平松愛理の音楽活動について

平松愛理さんは1989年2月、シングル曲「青春のアルバム」・アルバム「TREASURE」を同時リリースし、メジャーデビューします。

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2020年9月現在までにシングル28曲、オリジナルアルバム13枚をリリースしました。

代表曲「部屋とYシャツと私」のほか、「素敵なルネッサンス」・「Single is Best!?」・「戻れない道」などのヒット曲が知られています。

平松愛理最大のヒット曲「部屋とYシャツと私」

平松愛理さん最大のヒット曲「部屋とYシャツと私」は、ミリオンセラーを記録しています。

タイトルの語呂が非常に良く、1992年リリース時を知らない若い方も「部屋とYシャツと私」という言葉自体は聞いたことがあるという方も少なくありません。

一時音楽活動を休止した後の活動再開でも、「部屋とYシャツと私2004」という曲をリリースした他、2019年には「部屋とYシャツと私 〜あれから〜」という続編的な曲も出ています。

平松愛理は楽曲提供も多数

平松愛理さんは作詞家・作曲家としても活動しています。

平松愛理が楽曲を提供した歌手
・沢田知可子さん
・田村英里子さん
・森口博子さん
・ribbon

女性歌手やアイドルに多数の楽曲を提供してきました。

トレンディドラマなどが流行していた、90年代前半の雰囲気を色濃く感じる曲や歌詞が多いですね。

 

平松愛理が罹患した死亡しかねない病とは

平松愛理さんは1994年にともに仕事をしてきた編曲家・清水信之さんと結婚し、1996年には女の子を出産しています。

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娘さんは「初一音」(はいね)さんといい、現在歌を歌いながらYoutubeチャンネルでも活動しています。

娘さんのYoutubeに、ゲストとして平松愛理さんが出演したこともありました。

夫・清水信之さんとは2005年に離婚しています。

平松愛理は子宮内膜症や乳がんと闘病

平松愛理さんはデビュー時から子宮内膜症という病気を抱えていました。

出産時には危険な状態に陥ったこともありますが、病気が悪化した2001年に子宮摘出手術を受けています。

しかし、不運なことに子宮内膜症の手術を受けた直後の2002年には乳がんが見つかり、またも闘病生活を余儀なくされてしまいました。

乳がんに関しても2004年に音楽活動を再開し現在も元気な様子なので、深刻な再発などはなかった可能性が高いと考えられます。

平松愛理は阪神大震災後神戸で社会活動

平松愛理さんは出身地・神戸で、阪神大震災直後から毎年「KOBE MEETING」というチャリティーライブをしています。

2020年1月が最終公演となりましたが、長い間神戸に笑顔を届けてきました。

2005年には神戸市から「神戸大使」に任命されるなど、その活動は地元で高く評価されています。

この曲を聴くと土曜の夜の気分になる方も♪

平松愛理さんの声が優しくて綺麗です^ ^

これは本当にもう笑うしかないです♪

落ち込んだ時に聴きたくなる歌を歌うミュージシャンをもっとチェックしてみませんか?

こちらからご覧いただけます♪

 

2020年も精力的に活動する平松愛理

新型コロナウイルスの影響でライブが延期になるなどのトラブルはあるものの、2020年も平松愛理さんは精力的に音楽活動を続けています。

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5月からはYoutubeチャンネルを始め、インターネットを通した新しい音楽活動の形にもチャレンジし始めました。

平成という時代の変わり目にブレイクした平松愛理さんが、令和でどのような活躍を見せるか注目です。

今回は、平松愛理の経歴や学歴!死亡しかねない病との闘いの結果!出身地や実家はどこ?をテーマにまとめました。

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