本間朋晃選手と言えば、新日本プロレスの人気ヒールレスラーで、「みんなのこけし」の愛称で有名なプロレスラーです。
数々の大会を制した実力者で、マスメディアにも露出していて、人気は今後も続くと思われます。
そんな、本間朋晃選手ですが、見た目からして筋肉が凄いと評判です。
実際の実物の筋肉ははどうなのか気になりますね。
さらに、本間朋晃選手は、それだけすごい筋肉を持っていると言う事であるなら、学生時代はアスリートの名門の学校に通っていたのでしょうか?
出身中学や高校をチェックしてみたい所。
あと、有名な話として、本間朋晃選手が試合中に危険な事故に遭って、かなり深刻な事態になった事があります。
その時、どんな事が起きたのかなど、見れば見るほど、波乱なプロレスラー人生に写りました。
そこで今回は、「みんなのこけし」という愛称で有名な本間朋晃選手の筋肉、出身中学や高校、試合で起きた事故などについてまとめました。
本間朋晃のプロフィール:新日本プロレスの人気ヒールレスラー
出 身:山形県出身
誕生日:1976年11月18日
職 業:プロレスラー
所 属:新日本プロレス
愛 称:みんなのこけし、ザ・こけし、ハスキー本間
本間朋晃さんは、プロレスラーです。
新日本プロレスのヒールレスラーで、その独特な風貌から「こけし」にちなんだニックネームが付けられている事でも有名な選手です。
本間朋晃の経歴:大日本プロレスでデビュー
本間朋晃選手は、1976年に山形県で生まれました。
小学校時代に、武藤敬司さんを始めとする蝶野正洋さんや橋本真也さんら、”闘魂三銃士”の活躍ぶりに憧れ、将来プロレスラーとして活躍することを夢見たそうです。
高校時代に新日本プロレスの入団テストを受けていますが、その時には不合格の結果を迎えており、「みちのくプロレス」を経た上で「大日本プロレス」に入団し、1997年にデビューしています。
当時は「有刺鉄線デスマッチ」などのデスマッチを中心に出場したプロレスラーとして活動して、BJW認定デスマッチヘビー級王座の栄冠も獲得したスーパースターとして活躍しています。
2000年に大日本プロレスを退団し、2001年には全日本プロレスに入団。
2005年まで所属しています。
本間朋晃の経歴:新日本プロレスでの活躍
2006年に新日本プロレスに参戦し、同じくヒールレスラーの真壁刀義選手がリーダーであるヒールユニット「G・B・H」に参入しています。
その後、他のヒールレスラーがG・B・Hを退団していく中でも、本間朋晃選手は最後まで残ることを選択し、真壁刀義選手と共にファイトを繰り広げています。
また、山川竜司選手や笠井純選手と組んで闘うこともあり、様々なタッグ大会で活躍しています。
その活躍したタイトルなどは、以下のとおりです。
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- ◯第69代IWGPヘビー級タッグ王座
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- ◯2015WORLD TAG LEAGUE 優勝
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- ◯2016WORLD TAG LEAGUE 優勝
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- ◯第3代WEWタッグ王座
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- ◯第9代BJW認定デスマッチヘビー級王座
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- ◯第11代BJW認定デスマッチヘビー級王座
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- ◯第3代BJW認定タッグ王座
本間朋晃とこけし
本間朋晃選手は「みんなのこけし」や「ザ・こけし」などのニックネームがありますが、それはやはりその独特な風貌から来るものです。
実際に、山形県はこけしが特産品の地域であり、本間朋晃選手自身もそのネーミングを気に入っている模様です。
また、本間朋晃選手は自身の技にこけしの名前をつけており、
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- ◯こけし
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- ◯小こけし
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- ◯こけしロケット
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- ◯こけし落とし
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- ◯シャリマティー
などがあります。
どれもその名前に負けないユニークな技の数々であり、実際のプロレス会場では大いに観客が沸いていることが窺えます。
本間朋晃の出身中学や高校
プロレスラーとして活躍している本間朋晃選手ですが、学生時代はアスリートの名門の学校に通っていたのでしょうか?
どちらの高校・中学を卒業しているのか気になる所です。
本間朋晃選手は山形県東根市の出身であり、両校ともその辺りであることが推測されます。
ここでは、それらついて紹介します。
本間朋晃の出身中学
本間朋晃選手が卒業した中学校は、明らかになっていません。
まず、東根市の中になる公立の中学校であると思われますが、特定するには至っていません。
ちなみに、中学校時代には、プロレスではなく「野球部」に入っていたことを明かしています。
本間朋晃の出身高校
本間朋晃選手は「山形県立東根工業高等学校」を卒業しています。
山形県東根市中央西一丁目にあった県立高校であり、2014年に高校再編の中で閉校しています。
東根工業高等学校は、レスリング部がありかなりの強豪校でありましたが、本間朋晃選手が入部したのはなんと「写真部」です。
本間朋晃選手は小学生時代からプロレスのファンでしたが、高校時代はプレイするよりも、その活動を写真に収める方が楽しかったカメラ小僧であったことを明かしています。
その当時は、東北を中心に活動していたプロレス団体であるみちのくプロレスを中心に、写真を撮っていたそうです。
本間朋晃の素晴らしい筋肉
本間朋晃選手は、素晴らしい筋肉の持ち主であることが知られています。
写真で見る限り、かなりのマッチョマンであることが窺えます。
プロレスラーは技を受けることが多いため、身体に与えるダメージが少なくなるよう脂肪も少なからず身にまとうことが多いですが、見た感じではその脂肪もかなり少ないことが解ります。
攻撃を重視した身体、と言えるのかもしれませんね。
本間朋晃、雑誌の表紙に登場
本間朋晃選手は、ベースボールマガジン社が発行しているマッスルマガジン『かっこいいカラダ NEXT STAGE vol.18』に表紙として選ばれてたこともあります。
本間朋晃選手の肉体を「理想の身体つき」と語っている方は多いんですね。
本間朋晃の事故による怪我
IWGPヘビー級やWORLD TAG LEAGUEなど様々な大会で優勝を果たしている本間朋晃選手ですが、実は2017年に大怪我を負っています。
本間朋晃選手は2017年3月に行われた沖縄大会で、頭から落ちるプロレス技「DDT」の変形バージョンを受け、それによって頸椎にダメージを受けています。
四肢麻痺状態などかなり深刻な状態に陥ったとも言われており、復帰できないのではと噂されたことがありました。
きっと戻って来れるから。本間朋晃の怪我で感じた新日本プロレスの暖かさ
2017年3月3日、沖縄大会で邪道のグリーンキラーを被弾した本間朋晃。
技を受けた直後に動けなくなったことで技をかけた邪道が即座にフォールし、試合を終了させて救急搬送される事態となった。
(中略)
一時は四肢麻痺状態ともなった本間朋晃だが、その後手足の感覚が徐々に回復してきており、呼吸器系にも問題がなく、手術を避けて自力治癒を目指すという発表を目にした時は筆者も胸を撫で下ろした。引用元:ぼくらのプロレス(http://boku-pro.com/news/view/13519)
本間朋晃の怪我「中心性頸髄損傷」
本間朋晃選手は、この事故によって「中心性頸髄損傷」という病態になっています。
中心性頸髄損傷とは、頸椎の部分に腫れが見られ神経がまひしている状態であり、本間朋晃選手はその中でも呼吸動作に直結する頸椎の「3番」と「4番」にダメージを受けたとされています。
本間朋晃選手はその事故の体験を、以下のように語っています。
新日本プロレス・本間朋晃が奇跡の復帰戦へ。三途の川から呼び戻してくれた妻の「声」とは
でもあの時はバーンと食らって、意識ははっきりしているのに体が動かないんです。全く痛くなくて、それでいて体がなんか生温かくプカプカと水の中に浮かんでる感じで「あ、これはヤバイかな」って。レフェリーに無理だと言ったつもりが、口はパクパク動くんですけど声が出ないんですよ。耳ははっきり聞こえているので「これ、ヤバイな」とか言われてるのも聞こえてきて「おいおい、“ヤバイ”ってなんだよ」って(笑)。
それで、天井を見ながらお客さんの声援も聞こえてたのに、だんだん目がショボショボしてくるし耳も聞こえなくなってきて「ああ、眠たいな」って。それから夢なのかなんなのか、急に風景が夕暮れになって、ザーザーと川が流れていて橋があって、そこに僕が立っているんです。呼ばれてないけど向こうに行かなきゃって雰囲気があるんですよ。
引用元:ライブドアニュース(https://news.livedoor.com/article/detail/14894352/)
本間朋晃選手は、上記の光景を「三途の川」と称しており、妻である千恵さんの声によってギリギリで目覚めた事を語っています。
本間朋晃の復帰とそのモチベーション
その事故によって、本間朋晃選手は最悪寝たきりの生活になるとさえ言われた模様ですが、それ以降長きに渡ってリハビリと筋トレを続け、1年3か月後に復帰を果たしています。
勿論その間は決して楽な道のりではなく、プロレスができないどころか日常生活さえ満足に営めないのでは、とした絶望感に苛まれていたとされています。
隆々たる筋肉が寝たきりの中で一般人よりも細くなってしまった時期すらあった模様ですが、そうした中で復帰に向けて取り組んだモチベーションを以下のように語っています。
全身まひの大ケガから復帰する新日本プロレス・本間朋晃の覚悟「正直なところ、試合は怖いです」
−コーナー最上段から「こけし」で飛んでいたプロレスラーが、体力が底辺まで落ちて...。そんな中でも復帰へのモチベーションとなったものは?
本間 他の選手が試合でこけしを使ってくれていたのは嬉しかったですね。棚橋さんとかライガーさんとか、選手のみんながムービーでメッセージを送ってくれたり。中でも真壁さんが試合後のコメントで「あいつが頑張っているから、俺はあいつの居場所を作る」とか、事あるごとに僕に触れてくれてたんです。ケガをした当日、救急車に乗せられた時も聞こえたのは「おい、頑張ってこいよ! 待ってるからな」っていう真壁さんの声で。
こういう人がいるから僕はリングに帰りたいなと思いました。プロレスは基本的には"個人商店"で、自分のことだけをやるところはあるんですけど、温かい仲間って嬉しいなと思いましたね。ずっと一緒だとわからなかったことが、離れてみるとすごくわかりました。引用元:週プレNEWS(https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2018/06/21/106567/)
本間朋晃選手は現在でも現役のプロレスラーとして活躍していますが、そこまで回復するに至った理由は、本人のプロレスに対する熱意や支えてくれた周りの人の応援があったからでしょう。
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本間朋晃の今後の活躍に注目
ヒールレスラーの本間朋晃選手ですが、プロレスに対する愛情と熱意は他の誰にも決して負けないとも言われており、そして今後も熱狂する試合を見せてくれることは間違いないでしょう。
今後も活躍し続ける本間朋晃選手に注目ですね。
今回は、「みんなのこけし」という愛称で有名な本間朋晃選手の筋肉、出身中学や高校、試合で起きた事故などについてまとめました。