日本のファミレスの元祖「すかいらーくグループ」の創業者の一人として名高い横川竟氏。
現在でも国立市高倉を1号店とする「高倉町珈琲」を創業し展開するなど、話題が尽きないエネルギッシュな活動を見せています。
横川竟氏の資産はどれくらいなのか気になります。
横川竟氏は実業家として様々な名言を残したとされていますが、それはどんな言葉なのでしょう。
また出身高校や中学はどちらでしょうか。
そして、家族である兄弟の方々はどのような方達なのでしょうか。
今回は、すかいらーくの創業者として有名な横川竟氏の資産や名言、出身高校や中学、家族などについてまとめました。
横川竟はすかいらーくの創業者の一人
横川竟氏は実業家です。
大手ファミリーレストランチェーン「すかいらーくグループ」の創業者である横川4兄弟の一人として有名な方です。
現在でも喫茶店チェーン「高倉町珈琲」の創業者として数々の事業展開を繰り広げており、その活躍が話題となっています。
横川竟の経歴:「ことぶき食品有限会社」設立
横川竟氏は1937年に長野県諏訪市で誕生しています。
後にすかいらーくグループを築いたと言われる、横川四兄弟の三男にあたります。
中学卒業とともに上京し、築地を巡る仲卸問屋で働きながら商売のイロハを学んでいます。
1962年に独立し北多摩郡に「ことぶき食品有限会社」を設立し、取締役を務めています。
四男である横川紀夫さんと長男である横川端さんも事業に参加しており、黒字を収める順調な経営でした。
しかし、他の大手スーパーの大規模な活動に押される中で撤退しています。
横川竟の経歴:「すかいらーく」設立
食品会社という事業から撤退した横川竟氏、次に定めた事業はレストランでした。
当時は外食においてレストランという形態は一般的ではなく、食堂と呼べる形が主でした。
横川竟氏はアメリカからレストランの仕組みを学ぶ中で、ハンバーグやエビフライ、スパゲティとしたものを中心とした洋食屋を設立することを考えます。
それが現在のすかいらーくの原型であり、1970年7月に東京都国立にスカイラーク1号店を創業しています。
在庫管理システムである「POSシステム」の導入や、徹底したマニュアルによる店の雰囲気づくりなど様々な新しい試みが成功。
すかいらーくは瞬く間に人気レストランとして台頭します。
現在に至るまで、ファミレスとしては最大手と呼べる存在であり、すかいらーくぐるーぷは様々な食分野のレストランとして繁盛しています。
◯ファミリーレストラン「ガスト」「ジョナサン」
◯和食チェーン「夢庵」
◯イタリアンレストラン「グラッチェガーデンズ」
◯中華料理チェーン「バーミヤン」
横川竟の経歴:「高倉町珈琲」設立
横川竟氏はすかいらーくグループの取締役として様々な活動をしていましたが、2003年に経営を引退しています。
2006年に業績の立て直しを目的として代表取締役社長兼最高経営責任者とし復帰しましたが、他の経営陣と方向性が合わなかったことから2008年に引退しています。
とは言え、横川竟氏の実業家としての活動は留まることを知りません。
2013年6月に東京都八王子市高倉に喫茶店「高倉町珈琲」を開業しています。
人気芸能人である伊集院光さんが自身のラジオ番組でその店の紹介をしており、その美味しい料理とともに大ヒットを飛ばしています。
八王子の高倉町珈琲のクリームパンケーキがうますぎる。ちょっと濃いけど、疲れてる時はヤバイ。八王子で良かった。近所にあったら取り返しがつかないことになってる。
— 伊集院光 (@HikaruIjuin) January 11, 2014
高倉町珈琲は喫茶店チェーンであり、現在では20点の店舗を展開しています。
横川竟の資産が気になる!
大手外食チェーン「すかいらーくグループ」の創業者の一人である横川竟氏の資産は、どれくらいなのでしょうか。
その全貌は流石に掴み切れませんが、数百億円以上であることはほぼ確定でしょう。
2008年にすかいらーくを引退する際に、株を売却して創業一族は520億円を得ています。
「解任」すかいらーく横川社長 株売却一族で520億円手にする
横川一族がMBOで手にしたすかいらーく株の売却金額は約520億円。当時の持ち株比率は17.9%(2087万株)で、投資ファンドの買付価格は1株あたり2500円だった。
引用元:J-CASTニュース(https://www.j-cast.com/2008/08/11024981.html?p=all)
この520億円は横川4兄弟の取り分と言われており、単純に考えれば130億円が一人一人の取り分となります。
またそれまでの積み重ねや、現在の活躍ぶりなどを考えればやはり数百億円の資産があると考えて間違いありません。
横川竟の資産:夢を託せる人材
横川竟氏は現在では高倉町珈琲の代表として活動していますが、かつてすかいらーくを設立した時と同じく「楽しくて健康」な食事処という理想は変わっていません。
その理想を追い求めることに従事しており、自身が存命の内にかなうことはないとしていますが、理想を共有できる同士にその後は任せたいとした発言をしています。
「外食産業とは本来こうあるべきものだ」それを世の中に示したいのです
これからは、外食に限らず家庭でも、健康で安全でおいしい食事がより求められてきます。でも、いまの添加物に無頓着な加工食品ばかりでは、そのニーズは満たせない。外食産業として、お客さんが来てくれるのを待つだけではなく、こだわりの食事を家庭でも楽しんでもらう工夫が必要です。たとえば、いま進めているのが冷凍食品や加工食品の開発です。経済的な負担がなく、家庭の調理器具で手軽に安全で健康なレストランの味を再現できれば、それはいままでにない価値だと思うんです。また、提供する場所は店舗内に限る必要はない。ネット販売で全国に提供することも可能でしょう。ゆくゆくは、『高倉町珈琲』のこだわりの食事で、家庭の冷蔵庫をいっぱいにすることが夢ですね。それができたとき、「日本でいちばん」の外食チェーンになれるはずです。
―夢は大きいですね。
きっと、私が生きているうちには叶わないかもしれませんね。でも、心配ありません。『高倉町珈琲』には、『すかいらーく』や『ジョナサン』で30年近く理念を共有してきた同志が多く参画してくれています。私がいなくなっても、理念の追求が止むことはありません。この人材こそが、私の経営人生にとってもっとも大切な資産といえるかもしれませんね。
引用元:経営者通信Online(https://k-tsushin.jp/interview/kt51_takakuramachi-coffee/)
こうした育て上げた人材こそが、横川竟氏の活動を支える「資産」と言えるでしょう。
横川竟の名言はシンプル!
横川竟氏はすかいらーくグループの取締役として長年活躍しており、そのエネルギッシュな活躍ぶりは現在でも健在です。
そうした中で行った数々の発言は名言として捉えられ、話題となっています。
ここではその名言について紹介します。
横川竟の名言:嘘をつくな
横川竟氏の名言として代表的なものと言えば、次の一文でしょう。
この名言の元となるものは、横川竟氏の伯父に当たる方からの言い伝えと思われます。
外食産業の雄「すかいらーく」創業者・横川竟が語る、繁盛店のつくり方
2人目が伯父です。僕が中学を出て会社勤めをすると伝えたところ、横川家は士農工商の「士」なのに、おまえのやろうとしていることは「商」だから許すわけにはいかないって言い張るんです。だけどもう働くと決めたんだからしょうがないと掛け合ったところ、よし、分かったと。認めてやるから、その代わりに嘘をつくなと言うんですよ。
「商人」というのは嘘をつく人間の代名詞だから、おまえは「商売人」になれと。人を騙さないでいい仕事をするんだったら、同じ「商」でも許せるって言ったんです。ですから、この伯父との約束はずっと守ってきましたよ。
引用元:致知出版社(https://www.chichi.co.jp/web/20180901yokokawakiwamu/)
横川竟の名言:価値ある豊かさの想像
また、自身の経営哲学について、以下のように語っています。
外食産業の雄「すかいらーく」創業者・横川竟が語る、繁盛店のつくり方
「『ことぶき食品』をつくる時には、『いつも新鮮、いつも親切』をキャッチフレーズにしていました。『すかいらーく』では「価値ある豊かさの創造」と言いました。
そうやっていつでもお客様が喜ぶものを創り続けようとしたことが、これまで手掛けてきた店がどれも繁盛店になった一番の要因ではないかと僕は思いますね」
引用元:致知出版社(https://www.chichi.co.jp/web/20180901yokokawakiwamu/)
こうしたお客目線の視点とともに、いつも新しいものに挑戦しようとする姿勢が窺える名言と言えるでしょう。
横川竟の出身高校や中学をチェック!
ファミレスチェーン創業者として大成功を収めた横川竟氏ですが、その出身高校や中学はどちらなのでしょうか。
実は横川竟氏は「長野県立諏訪中学校」を卒業し、その後上京して築地市場で働き始めています。
中学校卒業とありますが、実はこの当時は学校教育法が無かった時代であり、同中学校が現在の高校と同じ扱いとなります。
当時では大学進学率は約1割と言われていますが、横川竟氏が大学に通わなかった理由について主に2つの説があり、現在に至るまで大学には通っていない模様です。
◯当時は貧しく、進学する余裕がなかった
◯横川竟氏は勉強が嫌いだった
横川竟の出身高校である長野県立諏訪中学校
横川竟氏が卒業した長野県立諏訪中学校は、現在では長野県諏訪清陵高等学校と名前を変えています。
創立は1887年であり、かなり歴史の古い学校と言えるでしょう。
2020年の同校の偏差値は「64」であるとされており、中々高い進学校であることが窺えます。
参考:みんなの高校情報(https://www.minkou.jp/hischool/school/3335/)
横川竟の家族や兄弟はいるの?
横川竟氏はすかいらーくグループ創業の横川4兄弟の一人とされていますが、他の家族や兄弟の方々はどのような人達なのでしょうか。
横川4兄弟は、以下の方々です。
長男…横川端
次男…茅野亮
三男…横川竟
四男…横川紀夫
いずれも名の知れた実業家であり、ここではそれぞれについて紹介します。
横川竟の兄弟:長男「横川端」
横川端氏は、横川4兄弟の長男です。
名 前:横川端(よこかわただし)
誕生日:1938年3月5日
年 齢:88歳
肩 書:すかいらーく最高顧問
東京交響楽団会長
横川竟の兄弟:次男「茅野亮」
茅野亮氏は、横川4兄弟の次男です。
農業を営んでいた「茅野」家の養子になっていた時期があり、その時の苗字がその後も継続して使われていました。
残念ながら2010年に肺炎によって帰らぬ人となっています。
名 前:茅野亮(ちのたすく)
誕生日:1934年12月12日
享 年:75歳
肩 書:元株式会社「ことぶき食品」社長
元すかいらーく初代代表取締役社長
横川竟の兄弟:四男「横川紀夫」
横川紀夫氏は横川4兄弟の四男です。
横川竟氏と同じく上京して東急電鉄に勤める最中、横川氏に一緒に商売することを持ち掛けた人物であるとされています。
名 前:横川紀夫(よこかわのりお)
誕生日:1940年3月21日
年 齢:79歳
肩 書:すかいらーく最高顧問
外食産業「ヴィア・ホールディングス」代表取締役社長
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横川竟の今後の活躍に注目
大手ファミレス「すかいらーく」を作り上げた横川竟氏は今後も実業家としての意欲を失わず、高倉町珈琲の代表として大いに活躍していくのではないでしょうか。
今後の横川竟氏と高倉町珈琲の行方に期待しましょう。
今回は、すかいらーくの創業者として有名な横川竟氏の資産や名言、出身高校や中学、家族などについてまとめました。