德田民子さん、その名前を聞いておしゃれが好きな方の中にはピンとくる方も多いのではないでしょうか。
德田民子さんは、日本のファッション界に影響が深い『装苑』などのファッション雑誌の元編集長です。
しかし、彼女のキャリアはそれだけに留まりません。
退職後にフリーランスのファッションコーディネーターとして新たな道を歩み始め、翌年には長野県の安曇野へと移住したライフスタイルが注目を集めています。
都会の喧騒から離れ、自然豊かな場所での德田民子さんの生活は、自ら生活用品を製作したり、庭の手入れを行ったりと、憧れている方も多いものです。
この記事では、德田民子のプロフや経歴!インスタが気になる!子供について!をテーマに德田民子さんについてまとめてみました。
德田民子のプロフ!
誕生日:1945年(月日は不明)
職 業:ファッションアドバイザー
出身地:千葉県
德田民子さんは元ファッション誌編集長で、現在はファッションアドバイザーとして活躍する方です。
安曇野で営まれる日々の暮らし方に注目が集まっています。
德田民子の経歴!
德田民子さんのライフスタイルは、おしゃれで温もりがあり、多くの人を惹きつけています。
そうしたライフスタイルを作り上げる德田民子さんについて、経歴を調べてみました。
まず、德田民子さんは文化服装学院デザイン科を卒業しています。
文化服装学院は1919年に設立された日本の服飾学校です。
『世界のファッションスクールランキング』では毎年トップ10に入る伝統校です。
・中川美優さん(アイドル)
・高田賢三さん(ファッションデザイナー)
他にも多数の著名人をファッション界や芸能界に輩出しています。
德田民子が編集した雑誌
德田民子さんは卒業後、文化出版局『装苑』や『ミセスのスタイルブック』などの雑誌で編集長として活躍しました。
創刊時のタイトル:「服装の改善とその普及」
德田民子さんが編集長として携わっていた装苑は、他のファッション誌とは異なる特徴を持った雑誌です。
それは、時代の変遷と共にボリュームは変化していますが、製図が掲載されていることでした。
特に家庭洋裁全盛期の50年代には雑誌が200ページを超えるものでした。
また、1956年から始まった装苑賞は、新人デザイナーを対象に行われています。
受賞者の中には、海外でも活躍したコシノジュンコさんや高田賢三さん、山本寛斎さんなど著名な方もおり、今でも日本を代表する服飾の賞となっています。
德田民子のインスタが気になる!
すっきりとした雰囲気なのに殺伐としている感じはなく、むしろ可愛らしい生活感が伺えます。
德田民子の子供について!
德田民子さんは日本のファッション業界が注目する雑誌『装苑』の編集長でしたが、お子さんはいるのでしょうか。
こちらも気になったので調べてみましたが、德田民子さんは夫の德田裕二さんと二人暮らしでした。
お二人は長年住み慣れた東京から長野県の安曇野へと移住を決めたのも、お子さんがいなかったから迷いなく決められたようです。
德田民子さんの夫は元広告ディレクターだったそうなので、二人が築くライフスタイルがおしゃれなのも職業的なセンスが活かされているのかもしれません。
都会の喧騒から離れ、自然に囲まれた場所でのシンプルな生活は、見る人に安らぎを感じさせます。
德田民子さんの安曇野ライフが魅力的^ ^
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德田民子の活躍に注目!
德田民子さんは『装苑』などのファッション雑誌の元編集長です。
文化服装学院卒業後から続いたファッションに携わる人生から、長野県安曇野に移住した後も一貫して見る人が憧れる生活には、德田民子さんならではのセンスが出ているのではないでしょうか。
今回は、德田民子のプロフや経歴!インスタが気になる!子供について!をテーマに德田民子さんについてまとめてみました。