広川小夜子さんは軽井沢の情報に明るく、メディアでは軽井沢の「女帝」と呼ばれることもあります。
しかし、広川小夜子さんの生まれは軽井沢ではありません。
軽井沢で暮らすようになったの理由や、どうしてここまでこの地に愛着を持つようになったのか、年齢や経歴、出身大学などが気になります。
家族に関する情報も興味深いです。
そこで今回は、広川小夜子の年齢や経歴!出身大学はどこ?軽井沢との関係をチェック!をテーマに調べました。
広川小夜子のプロフィール
広川小夜子さんは軽井沢の情報を長年発信し続けてきたジャーナリストです。
生年月日は公開されていませんが、大学を卒業して1972年に軽井沢に移住しているという経歴を見ると1940年代後半ごろの生まれと予想されます。
広川小夜子の出身大学はどこ?
広川小夜子さんは新潟県出身、中央大学文学部に進学しています。
当時は珍しい事ですが、広川小夜子さんは学生結婚をしていました。
当時は女性の就職先が今より限られており、大学卒業後はデザインなどを学んでいます。
広川小夜子が軽井沢に移住した理由
広川小夜子さんと軽井沢との関係は、1972年に旦那さんの提案から始まりました。
軽井沢は旦那さんの故郷で、土地を持っていたことは帰郷したいと考える大きな理由になりますね。
広川小夜子さんは50年近く軽井沢で暮らしていることになります。
暮らしていくうち、広川小夜子さんは軽井沢に大きな魅力を感じるようになりました。
広川小夜子と軽井沢との関係をチェック
広川小夜子さんは、地方情報誌『軽井沢ヴィネット』を創刊しました。
1979年に『軽井沢めいと』として始まり、40年以上続けてきました。
現在は春と夏、年に2回の発行となっています。
広川小夜子が発行している『軽井沢ヴィネット』の初期
地方の情報誌なので、広川小夜子さんが『軽井沢ヴィネット』を出すのに苦労したのは採算です。
企画・取材・執筆・広告掲載のスポンサー探し・出来上がった雑誌を自転車に乗って配るといった仕事を、広川小夜子さんは一人で行いました。
8ページのモノクロで始まった雑誌は、やがて協力者が増え、5号目にカラー雑誌となります。
ページも大幅に増えました。
広川小夜子の軽井沢新聞
広川小夜子さんは、現在軽井沢新聞の編集長でもあります。
1988年に『かわら版』として始まったコミュニティーペーパーですが、これが現在も続いています。
前オーナーがー亡くなり、その、後広川小夜子さんがその役割を引き継ぎました。
現在は「軽井沢ウェブ」というサイトで新聞を閲覧する事ができます。
広川小夜子が語る冬の軽井沢
2011年まで、広川小夜子さんの雑誌『軽井沢ヴィネット』は、冬号も発行されていました。
軽井沢といえば避暑地のイメージがありますが、実は冬の軽井沢も素敵だと広川小夜子さんは述べます。
確かに、雪に覆われた軽井沢の景色は春・夏に訪れるのとは別の魅力がありますし、スキーやスノボが楽しめるのも冬に軽井沢を訪れる楽しみです。
広川小夜子おすすめの軽井沢グルメ
広川小夜子さんは現在、テレビ番組出演のオファーを受けることもあります。
過去に紹介した軽井沢のおすすめグルメは、「エロイーズカフェ」のフレンチトーストでした。
まだ軽井沢が外国人向けの別荘地だった明治時代、この地を訪れていたアメリカ人女性の名前を冠したカフェ&シェアハウスです。
朝の時間帯には人気を聞きつけた観光客が多く訪れます。
こちらのカフェは完全予約制となっていますので、ご利用を検討される方はご注意ください。
広川小夜子の家族について
広川小夜子さんの夫については、あまり詳しい情報がありません。
雑誌や新聞に関するインタビューで「旦那さんがこんな仕事をした」という話も出ていないので、広川小夜子さんとは別の仕事をしていた可能性が高いです。
しかし娘さんは現在、広川小夜子さんの後を継いで『軽井沢ヴィネット』の編集長をしています。
広川美愛(ひろかわ みなな)さんというお名前です。
軽井沢新聞を運営する広告代理店「アドエイド」の社長も、広川美愛さんが務めています。
軽井沢の四季♪
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軽井沢を愛する広川小夜子
広川小夜子さんは旦那さんと共に東京から軽井沢に移り住み、長年その魅力を発信し続けてきました。
モノクロの雑誌からスタートした取り組みが実を結び、現在も軽井沢ファンに愛されています。
広川小夜子さんのように軽井沢を愛する方が沢山いることも、この地が有名観光地や避暑地として長年その地位を保ち続けている理由と言えるでしょう。
今回は、広川小夜子の年齢や経歴!出身大学はどこ?軽井沢との関係をチェック!をテーマに調べました。