アメリカで「ヨシダソース」を成功させ年商250億円のヨシダグループにまで育てた実業家の吉田潤喜さん。
アメリカではイチローに次ぐと言われる高い認知度で知られた人物です。
テレビにも何度も出演したことがあるのでご存じの方もいるでしょう。
そこで気になるのが、プロフィールや経歴です。
実業家の方のステイホーム期間のすごし方や結婚したお嫁さんについてや3人の娘さんについてなど、幅広く見てみました。
今回は、吉田潤喜の名言が格好いい!結婚した嫁(リンダ)や娘について自宅はどこ?をテーマにご紹介しましょう。
吉田潤喜のプロフィール
誕生日:1949年12月7日
出身地:京都府京都市南区
職 業:実業家
吉田 潤喜さんはアメリカ合衆国の実業家で空手家です。
京都府京都市南区の出身。
吉田ソースの創業者でヨシダグループの会長です。
オレゴン州知事経済顧問、全米空手道連盟理事などを務めています。
実姉は京都市で「キッチンよし田」を営んでいます。
お笑い芸人「TIM」のレッド吉田とは従兄弟です。
父はカメラマンで母は雀荘や焼き肉屋を営んでいましたが生活は苦しかったそうです。
4歳の時、事故で右目を失明。
空手に打ち込み8段までに昇格しています。
大学受験の失敗を機にアメリカ合衆国に不法移民し、当時ブルース・リー人気でブームであった空手道場を開きますが経営不振に陥り、30歳から家業の焼き肉屋のタレをヒントに、醤油ベースのバーベキューソース「吉田グルメのたれ」を考案。
1982年オレゴン州に吉田ソース会社を創立します。
翌年当時2店舗しかなかったコストコと提携して販売額が急激に伸びました。
なお1977年にアメリカ国籍を取得しています。
吉田潤喜が渡米したきっかけ
吉田潤喜さんは在日2世であったことから壮絶なイジメにあいます。
そして「今に見とれ」という思いから空手を習い始めます。
それでも喧嘩に明け暮れる日々が続き、いつの間にか京都では有名な「ごんたくれ(不良)」になっていました。
「喧嘩は勝たないといかん。商売も同じ」と吉田潤喜さんは語っています。
やがて高校を卒業し大学を受験しますが失敗してしまいます。
そして19歳の時に渡米を決意します。
母親が持たせてくれた往復の航空券と500ドルを手に徒手空拳でアメリカに渡ります。
吉田潤喜とアメリカ
渡米した吉田潤喜さんは最初にチャイナタウンを訪れます。
そして帰りの航空券をお金に替えて退路を断ちました。
そうして工面したお金で車を買い車中泊を始めました。
この時は就労ビザはもちろん、車の免許証もありませんでした。
皿洗いなどのアルバイトで繋ぐ日々でしたが、ある日移民局に目を付けられてしまいます。
身柄を拘束され連行されますが、移民局には渡米当初から永住権を求めて相談していたスタッフがいました。
顔馴染みとなっていたので、その場で放免されることになります。
その後、吉田潤喜さんの元に「大学で空手を教えてほしい」という依頼が舞い込みます。
当時はブルース・リーが大流行していた時代で、アメリカでは空前の空手ブームが起きていました。
大学で空手を教えることで学生ビザも取得出来ます。
吉田潤喜さんはようやく不法就労から開放されることになります。
勢いに乗り1971年には空手道場を開きます。
最盛期には200人もの生徒を抱えるまでになります。
ワシントン州の警察学校で指導を依頼され、空手を応用した「吉田逮捕術」を考案。
SWATの必修科目となります。
吉田潤喜のヨシダソース誕生!
空手道場で成功した吉田潤喜さんですが、不況の余波で道場は閑散としてしまいます。
そんな吉田潤喜さんに転機が訪れたのは1981年のクリスマスでした。
空手道場の生徒からクリスマスプレゼントを貰ったものの、お返しするものが何もありません。
そこで吉田潤喜さんは実家の焼肉屋のタレを作り生徒たちに振る舞います。
するとこれが大好評で生徒の中には「お金を払ってもほしい」という声も。
「これは商売になるわ!」という妻の声に押されて「ヨシダソース」の販売に乗り出します。
吉田潤喜はヨシダソースで成功から投資で失敗
吉田潤喜さんは実演販売でソースを売り始めます。
ところが全く売れません。
そこで奇抜な格好で店頭に立つことを決め、テンガロンハットに着物姿や、時にはバニーガール姿にもなりました。
空手道場の日本人の親からは「日本人の恥だ」という声もありましたが意に介しませんでした。
派手なCMを流しているうちに吉田潤喜のパフォーマンスが評判になりソースは売れるようになります。
やがて地元のテレビ局の料理番組に出演するようになります。
おでこを火傷するなどハチャメチャぶりが受けて番組は6年間も続きました。
かくして「ヨシダソース」はFedExやIntel、DELLとともに中小企業局が選出する全米24社の殿堂入りを果たしました。
さらにはかつて空手の生徒の中にナイキの創業者の息子がいた縁で、エアソール部分の輸送の独占契約を結び、年間2億足分を輸送しています。
順風満帆でしたが吉田潤喜さんをアクシデントが襲います。
当時、日本はバブルのさなかでした。吉
田潤喜さんは日本人の仲間とともに、住宅付きゴルフ場に大規模な投資を行います。
ところがバブルは崩壊してしまいます。
残されたのは月間維持費300万円の建設中のゴルフ場でした。
自宅を売却し小さな家に引っ越します。
ソース事業も売ろうかと思うほど追い込まれたんだそう。
しかし何度も破産の危機に瀕している吉田潤喜さんはここでも立ち直ります。
吉田潤喜が見るアメリカはやり直せる国
山あり谷ありの人生を歩んできた吉田潤喜さんは成功するためにはパッションが大事だといいます。
そして日本とアメリカの違いについて次のように指摘しています。
「敗者復活戦があることや。スティーブ・ジョブズだって会社を追い出された時期がある。それでもアメリカって国はもう一回やり直せる文化がある」。
よく指摘されることではありますが、吉田潤喜さんの口から語られると重みが違います。
吉田潤喜の妻と娘たち
吉田潤喜さんの妻はリンダ・マクファレンさんという方です。
吉田潤喜さんが大学で空手を教えていた頃に出会いました。
吉田潤喜さんの一目惚れだったそうで2度目のデートでプロポーズしています。
そしてそのプロポーズが一風変わったものでした。
吉田潤喜さんは当時吸っていたマルボロを自らの手の甲に押し当て、承諾してくれるまでこうしていると言ったのだそう。
リンダさんは吉田潤喜さんとの45年の結婚生活を「エキサイティングで楽しかった。素晴らしい旅は続いている」と語っています。
吉田潤喜さんとリンダさんの間には3人の娘さんがいます。
長女は結婚しており2人のお子さんの母親です。
次女は不動産のディーラーをやっていて、三女は大学を卒業してからハリウッドでも難関といわれるCGの学校で勉強中だそうです。
吉田潤喜のステイホーム中のサンディエゴにある自宅での過ごし方
吉田潤喜さんはステイホーム期間中、サンディエゴにある自宅で過ごしていました。
そしてリンダさんと仲良くおでんをつついています。
億万長者にしては地味なすごし方ですが、吉田潤喜さんはフェイスブックで次のように述べています。
皆様長く続くSTAYHOME生活頑張っていますか。私たちも医療関係者の方々を含め私たちの生活維持の為に働いてくださっている方々に感謝し日々を過ごしております。吉田潤喜も”コロナに負けるな”の精神で1日でも早くこの状況が収まり日本に行ける日を楽しみにしながら日々を過ごしております。
引用元:https://www.facebook.com/YoshidaSauce/
吉田潤喜の名言
ここで吉田潤喜さんの名言についていくつかご紹介しましょう。
・「目の前の扉がパターンとしまってしまったとき、周りを見回してみよう。必ずどこか別の扉が開いているのだ」
引用元:https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2
・「100%のパッションがあれば、何でもできる。99%ではダメ。たとえ1%の違いであっても、実質的には100とゼロだ。その1%に甘えがある」
引用元:https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2」
・「その夢を実現するために死ぬ気で頑張れるか、自分の胸に聞いてみなはれ」
引用元:https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2」
・「世の中でいわれている成功だけが、真の成功ではない。大切なのは、自分の人生に満足できるかどうかだ」
引用元:https://toyokeizai.net/articles/-/8224?page=2
・「勝負をためらっていたら、いつまでたっても成功は手にできません。何でもいいですやん。不満や矛盾があるなら、とりあえずそれを目的に動き出せばいい。“God damn it,watch me!”。いつも『なにくそ!今に見とれ!』の精神をもって」
引用元:https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/35154
素晴らしい名言の数々です。
吉田社長公認の吉田ソースの歌♪
ドンキって凄いですよね^ ^
ソースは味の決め手になりますよね^ ^
ガッツの塊の様な経営者をもっとチェックしてみませんか?
こちらからご覧いただけます♪
吉田潤喜はアメリカンドリームを体現した
以上、吉田潤喜さんについて見てきました。
裸一貫でアメリカに乗り込みアメリカンドリームを体現した方です。
凄いですよね。
それから奥さんのリンダさんも常に吉田潤喜さんを支えてきました。
吉田潤喜さんの成功はリンダさんがいたことが大きいでしょう。
齢70歳を迎えていますが、今でもかくしゃくとされています。
コロナには気を付けて長生きをしてほしいものです。
今回は、吉田潤喜の名言が格好いい!結婚した嫁(リンダ)や娘について自宅はどこ?をテーマにご紹介しました。