佐久間良子さんと言えば、かつては東映の人気女優として活躍し、テレビドラマや舞台でも、昭和から現在に至るまで活躍している女優です。
そんな佐久間さんは、若い時はかなり美しい方であったと言われています。
そして、その経歴も華麗で凄かったとの評判でした。
そんな凄い経歴を残された佐久間さんの礎となった実家や事務所、それに娘さん等の家族について、とても興味が尽きない方です。
そこで今回は、大女優として名高い佐久間良子さんの若い時の凄い経歴や、実家や事務所に、娘さんの情報等をまとめました。
佐久間良子とは:昭和から活躍する名女優
出 身:東京都出身
誕生日:1939年2月24日
職 業:女優
所 属:芸能事務所「ORPHe」
受 章:旭日小綬章
佐久間良子さんは女優です。
戦後以降、女優として活動を開始して、昭和から平成、そして令和の時代にまたがって活躍されています。
佐久間良子の経歴
佐久間良子さんは、1939年に東京都練馬区で誕生しています。
幼少の頃は戦時中で、群馬県や福島県に疎開していたそうです。
戦争が終わり、東京に戻った後は
- ◯私立川村中学校
◯川村高等学校
へ進学されました。
そして、川村学園の先輩である小宮光江さんに誘われる形で東京撮影所を見学し、その後に大手映画会社である「東映」からスカウトされる形で女優活動を開始しています。
その後、1958年に映画「美しき姉妹の物語・悶える早春」に端役としてデビュー。
同年には映画「台風息子」でヒロイン役として抜擢されました。
それ以降も人気女優として活躍し続け、出演した作品はそれぞれ
- 映画……………約130本
テレビドラマ…約85本
舞台……………約50本
にも昇るとされています。
佐久間良子と平幹二朗との結婚
佐久間良子さんは、1970年に俳優の平幹二朗さんと結婚されました。
1968年のテレビドラマ「皇女和の宮」で共演したことがキッカケと言われており、かなり親密に交際を続けていた模様です。
詳細は不明ですが、ロンドンへ愛の逃避行があったとも言われています。
かなり情熱的な恋愛があった模様です。
1974年には双子の男女が誕生。
男の子は後に俳優として活躍する平岳大さんです。
ただ、残念ながら一緒に暮らしていく上で思いもしなかった、意見の食い違いが生じたと報道され、1984年に離婚しています。
佐久間良子の若い時の経歴
女優として数々の活躍を残した佐久間良子さん。
特に若い時は、目を惹くような美貌の持ち主で、常に注目の的となっていました。
ここでは、佐久間良子さんの若い時の経歴や逸話などを紹介します。
裕福な実家
佐久間良子さんの実家は、かなり裕福であったと伝えられています。
- 父親…軍医。戦後は製薬会社の役員に就任
母親…製作所の令嬢
上記のとおり、経済的に裕福な家庭で育った模様です。
佐久間良子さんは、いわゆる”箱入り娘”だったのでしょうね。
そんな佐久間良子さんの家庭環境ですから、東映からスカウトされた際に、両親は大反対されたそうです。
そんな両親を、佐久間良子さんは1年限りの挑戦という形で了承を取った事を明かしています。
美貌の人気女優
佐久間良子さんの若い時は、才色兼備のお嬢様の雰囲気が漂っていて、かなり人気を博していました。
石坂浩二が若い… 佐久間良子も若い、そして美しいね pic.twitter.com/xCogszLcs2
— U~ (@maonume) 2019年11月6日
デビューして間もなく、雑誌の人気女優投票でランクインしたり、後援会が発足する等、逸話からもその人気の高さが窺えます。
逸話には事欠かなく、1958年から1963年にかけて1年に10本以上映画に出演しており、多い時には1年間に16本もの映画に出演。
まさに東映に欠かせない女優だったことが、映画の出演本数の数字からも伺えます。
その後、1960年後半からは、東映の制作路線との相違から、少しずつ東映と距離を置き始めるました。
時代は映画からテレビへと移り変わっていた時代。
今度はテレビドラマへ出演をシフトします。
その結果、ついには1981年に代表作とされるNHK大河ドラマ「おんな太閤記」に主役である北政所(ねね)として出演。
ついに、俳優のテレビ作品の頂点である大河ドラマ出演を果たします。
しかも、大河ドラマとしては初めて、女優を主役に抜擢した記念碑的な作品です。
現在に至るまで、その大河ドラマとともに、佐久間良子さんの功績が言い伝えられています。
【NHK名作座】第11回は #大河ドラマ 「おんな太閤記」(1981)。戦国から徳川初期までを生き抜いた豊臣秀吉の正妻・ねねが主人公。ねねを #佐久間良子 さん、秀吉を #西田敏行 さんが演じた。大河19作目にして初めて女性の視点で戦国時代を描いた。脚本は #橋田壽賀子 さん。 https://t.co/GVUtSMx5uG
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) 2019年5月25日
佐久間良子の事務所や実家
佐久間良子さんの現在の芸能事務所は「ORPHe」です。
公式サイトの所属芸能人の紹介では、「平岳大」さんと「佐久間良子」さんの2名のみが確認できます。
親子の2人だけしか所属していないので、ほぼ個人事務所と言った所では無いのでしょうか。
また、以前のニュースでは、佐久間良子さんがORPHeに後から所属した事が報道されていました。
つまり、平岳大さんが先に事務所を立ち上げて、所属していることが解ります。
となると、代表という立ち位置に近いのは平岳大さんなのではと推測してしまいます。
佐久間良子の実家
佐久間良子さんの以前の実家は、東京都練馬区の桜台にあったそうです。
桜台は高級住宅地として知られる場所であり、なんとそこに500坪ほどの邸宅を構えていた模様であり、かなりの富豪であったと言えるでしょう。
現在のお住まいは不明ですが、101歳になるお母さんの様子を番組など語っており、現在もそこにお母さんと一緒に住んでいるのではと思われます。
佐久間良子の娘
話は元夫である平幹二朗さんと双子の男女をもうけてた時に戻ります。
男の子は、平岳大さんで俳優となりました。
Kenzo’s interview in Tokyo. #girihaji pic.twitter.com/UmLiuPCA8D
— 平 岳大 (@hira_takehiro) 2019年11月30日
では、女の子はどのような方に育ったのか気になる所です。
バリバリのキャリアウーマン
結論から書きますと、佐久間良子さんの娘さんは一般人です。
芸能などの活動は全く行っていない模様です。
そして、既に結婚していて、現在ではアメリカでバリバリのキャリアウーマンとして活躍しているそうです。
ちなみに、二卵性の双子だそうで、平岳大さんと凄く顔が似ているということもないそうです。
佐久間良子の娘のエピソード
佐久間良子さんの娘さんについてはほとんど情報がありませんが、それでも家族の思い出としてたまに語られることもある様子です。
佐久間良子さんは子供にも十分愛情を注いだ模様であり、仲良く育ったことを2018年にインタビューで語っています。
女優・佐久間良子さん 疎開先へ迎えに来た父の背中
「家を多く空けて、多感な時期に離婚もしました。双子の妹ともども、不満もあったと思いますが、兄妹仲良く元気に育ってくれました。子供と呼ぶにはもうおじさん、おばさんですが、これからも大きく羽ばたいてほしいです」
引用元:NIKKEI STYLE(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO32197710V20C18A6KNTP00)
また平岳大さんは平幹二朗さんが2017年に帰らぬ人となった時に、兄妹二人で平幹二朗さんに会ったことを語っています。
俳優・平岳大さん 両親と同じ道 背中押した父
「前日に双子の妹の家を一緒に訪ねました。孫を抱きながら『君たちには、こんなことをしてあげられなかった。許してくれるか』と聞かれました。私も妹も『家庭のために何かを我慢して平凡な俳優になるより、自分の道を突き進んでくれて正解でしたよ』と言ったら、涙ぐんでましたね。帰り道、背負っていた重荷を降ろしたような、晴れ晴れとした表情だったのが忘れられません」
引用元:NIKKEI STYLE(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO17836530Z10C17A6NZBP00)
佐久間良子さんの家庭は、ぎくしゃくしていた時期があったようで、それが離婚の要因と言われています。
それでも、やはり親としての愛情を子供たちに注いでいたことが窺えるエピソードでした。
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佐久間良子の今後の活躍に注目
佐久間良子さんは現在ではかなり出演回数などは減らしており、穏やかな生活を送っている模様です。
今号のカラーグラビアは、シリーズ「女優という人生」より「#佐久間良子 元祖『お嬢様女優』と呼ばれて」をお届け。気高く、美しい銀幕女優のこれまでの歩みを、瑞々しい秘蔵写真とともに振り返ります。 pic.twitter.com/OSwzQmrMfb
— 週刊現代 (@WeeklyGendai) 2019年9月9日
それでも、2019年には映画に出演しており、女優活動を停止した訳ではなさそうです。
今後も佐久間良子さんの演技や活躍に期待したい所ですね。
今回は、大女優として名高い佐久間良子さんの若い時の凄い経歴や、実家や事務所に、娘さんの情報等をまとめました。