フジテレビ系列のクイズバラエティ番組「ネプリーグ」で解説者として活躍している村瀬哲史先生。
本業である大手予備校「東進ハイスクール」で地理の講師として人気で、林修先生とともに東進ハイスクールの顔と呼べる人物です。
その村瀬哲史先生のwikiやプロフや学歴はどのようなものなのでしょうか。
奈良大学出身とされていますが、高校はどちらなのでしょうか。
東進ハイスクールに復帰した理由はどのようなものなのでしょうか。
今回は、東進ハイスクールの人気講師である村瀬哲史先生のwikiプロフや学歴、出身校である奈良大学や高校、東進ハイスクールに復帰した理由などについてまとめました。
村瀬哲史のwikiプロフ:実家が大阪の人気予備校講師
村瀬哲史先生は、予備校教師であり、タレントでもあります。
大手予備校である「東進ハイスクール」で地理講師として人気を集め、タレントとしても活動として様々な番組で活躍しています。
大阪出身であり、あの明るい関西弁は実家で住んでいた頃に身に着けたことが想像されます。
村瀬哲史の経歴
村瀬哲史先生は1974年に大阪府で誕生しています。
奈良県奈良市にある奈良大学が出身大学の候補として挙がっています。
◯2010年に大手予備校「河合塾」を退職して東進ハイスクールに所属
◯2016年に東進ハイスクールを退職して「学研グループ」に所属
◯2018年に学研グループを退職して東進ハイスクールに復帰
村瀬哲史先生は高校教師を務めていた時期があると言われており、そこから受験を専門とする予備校教師への道を選んだ、という流れになると思われます。
学習塾や予備校での評判は著しく高いものであり、かなりの売れっ子講師であるということは間違いないでしょう。
最近は解りやすく物事を伝える姿勢と特異なキャラクターが人気を呼び、フジテレビ系クイズバラエティ番組「ネプリーグ」を始めとして様々なテレビ番組に出演しています。
そしてタレント活動をする際には、所属する芸能事務所「ワタナベエンターテイメント」を介して行っています。
村瀬哲史の人気の秘密
売れっ子講師として活躍している村瀬哲史先生ですが、その授業はどのようなものなのでしょうか。
村瀬哲史先生は自身の授業方針について、以下のように語っています。
地理 村瀬 哲史先生
地理に多くの時間はかけられません。だからといって「覚えるだけ」と思っていませんか? もちろん知識量が多いと解答しやすくなるのは事実です。しかし、地理には「何でそうなるのか」という理由があります。丸暗記ではなく、「そうだったのか!」と気づき理解できたことはなかなか忘れません。地理を理解する、考えることがおもしろくなる、そのような授業を行います。
引用元:予備校の東進(https://www.toshin.com/teacher/detail.php?teacher_id=74)
単純な丸暗記にとらわれず、その前後関係を把握した上で繋がりの中で物事を学ぶというスタイルであり、生徒たちに考えさせることを重視した学習方法であると言えます。
村瀬哲史先生がニコニコしながら関西弁で熱く語りかけるような姿勢も魅力であり、そうした面でも生徒達の興味を引き立てているのではと思われます。
そうした村瀬哲史先生の授業は高評価を受けており、村瀬哲史先生の授業方針の目的は概ね成功していると言えるでしょう。
村瀬哲史が卒業した奈良大学や高校
予備校教師として受験生から高評価を受けている村瀬哲史先生、学歴が気になります。
村瀬哲史先生は自身の学歴についてはあまり詳しく公表しない方で、ネットでは「奈良大学」か「早稲田大学」のいずれかではと長い間噂されていました。
現在では「奈良大学」であるというのが一般的であり、奈良大学が文系全般に強い大学であることがその根拠であるとされています。
また出身高校については全く明かされていない様です。
出身である大阪府もしくは奈良県の辺りであると思われますが、現状では不明です。
村瀬哲史が東進ハイスクールを退職・復帰した理由
村瀬哲史先生は「ネプリーグ」に同じく東進ハイスクールの名物講師である林修先生と出演しており、まさに東進ハイスクールの顔の一人であると言えます。
その村瀬先生、実は2016年に東進ハイスクールを退社しており、2019年から東進ハイスクールに復帰した過去を持っています。
東進ハイスクールへ復帰した理由は一体どのようなものなのでしょうか、そしてまた2016年に東進ハイスクールを退社した理由はどのようなものなのでしょうか。
ここではそれらについて考察し、まとめました。
村瀬哲史が東進ハイスクールを退職した理由
2016年に村瀬哲史先生は、東進ハイスクールを退社し学研へと移動しています。
しかし、実は学研へ移動した講師は村瀬哲史先生のみではなく、かなり大量の東進ハイスクールの講師が学研に移動していた模様です。
村瀬哲史先生を含めて、およそ7人の人気講師が学研へ異動していました。
東進ハイスクールは他の予備校の人気講師をスカウトすることでも有名な予備校ですが、この時は反対に人気講師をスカウトされてしまいました。
実際の所、予備校の世界では人気講師の引き抜きが多く行われるものであり、かなり熾烈なスカウトが行われているとも噂されています。
そうした中で、より良い条件を示した学研に対しスカウトを受けたのではと推測されます。
村瀬哲史が東進ハイスクールに復帰した理由
しかし、村瀬哲史先生は東進ハイスクールに2019年度から復帰しています。
この復帰に関して、村瀬哲史先生は詳細を明かしてはいません。
そうなると一般的な退職理由である、ギャラや授業スタイルなどの理由で何らかの不和が生じた、もしくは単純に東進ハイスクールからより良い環境を提示されたとしたことなどが挙げられるでしょう。
プロは自身の活躍に対する報酬には厳しい目を持つと言われていますが、腕一本でやっていく「講師」ともなれば、よりシビアな視線を持つことは当然と言えます。
村瀬哲史先生の移籍から復帰の流れは、それを強く物語っているのではないでしょうか。
村瀬哲史が出した京田辺市にまつわる問題
村瀬哲史先生はMBSラジオ「上泉雄一のええなぁ!」の火曜日に自身のコーナーである「村瀬先生の今日はこれだけ覚えて帰ってください」で、様々な面白い話を展開しています。
2019年の7月には、夏休みの自由研究として地名に関して研究することをお勧めしており、その中で京都府の京田辺市に関する問題を一つ出しています。
夏休みの自由研究、地名の研究はいかが?
まず1つ目は「合成地名」。地区が合併するときにそれぞれの地名を合わせた地名のことです。たとえば、東京都の大田区は、「"大"森区」と「蒲"田"区」が合併されたことから大田区に。また鳥取県は少し変化球。「羽合町」と「泊村」と「東郷町」が合併し、「湯梨浜町」になりました。もともとの地名が入っていないけど?と思ってしまいますが、これは、町の特色である温泉(湯)、20世紀梨(梨)、砂浜(浜)を合わせた名前なんです。おもしろいですね!
さてさて、ここまで読んだ皆様にクイズです。
かつて京田辺市にあった「南山村」「山本村」「山崎村」「高木村」これらの村が合併して、なんという地名になったでしょうか?引用元:MBSトピックス(https://www.mbs1179.com/put_info/archive/20190723230000.shtml)
みなさんは解りましたでしょうか?
村瀬哲史が出した京田辺市にまつわる問題の回答
番組内では、「音に由来する地名」や「人命に由来する地名」などを紹介しており、ただ暗記するに留まらない考えさせられる村瀬哲史先生のお得意の話が紹介されていました。
上記コーナーは人気であり、今後も長く放送されるのではと思われます。
さて、上記の問題の答えは以下の通りです。
みなさんは解りましたか?
夏休みの自由研究、地名の研究はいかが?
⇒クイズの答え:三山木村(南山村・山本村・山崎村、3つの山をとり、高木村の木)
引用元:MBSトピックス(https://www.mbs1179.com/put_info/archive/20190723230000.shtml)
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村瀬哲史の今後の活躍に注目
村瀬哲史先生は陽気で明るい関西弁の講師ですが、実は内情は中々ミステリアスな人物であると言えるでしょう。
そうした部分も、実は現在の村瀬哲史先生の魅力の土台になっているのかもしれませんね。
今回は、東進ハイスクールの人気講師である村瀬哲史先生のwikiプロフや学歴、出身校である奈良大学や高校、東進ハイスクールに復帰した理由などについてまとめました。