津野海太郎さんは舞台演出や執筆業で話題を集める人物です。
高齢になった現在も、執筆業などで注目を集めています。
近年刊行された著書が話題な津野海太郎さんについて、プロフィールや経歴を見てみると、演劇にまつわるこぼれ話が沢山あります。
多才な津野海太郎さんですが、自宅はどこなのかや家族について気になる方も多くいます。
そこで今回は、津野海太郎のプロフや経歴!自宅はどこ?家族(結婚した妻)について!をテーマにまとめてみました。
津野海太郎のプロフィール
誕生日:1938年4月6日
出身地:福岡県
職 業:演出家、編集者、評論家
津野海太郎さんは演出家、編集者、評論家として活動する方です。
出版社である株式会社晶文社に勤めつつ、故人となった樹木希林さんが所属していた劇団「六月劇場」など、いくつかの劇団をプロデュースしていました。
2009年までは和光大学の名誉教授と図書館館長の役職にも就いています。
2016年に刊行された『最後の読書』は話題を呼び、文庫化もされました。
・WonderLand
・水牛通信
津野海太郎の経歴
津野海太郎さんは福岡県生まれの東京育ちです。
終戦後で一般家庭が本を入手し難く、図書館が現在の様に無料で入館できる場所でも無かった時期に少年時代を送っていましたが、読書好きには苦難の時代も貸本屋に通っていました。
豊かな読書生活を送った幼少期を経て、早稲田大学を卒業し、株式会社晶文社に入社。
また、この間に劇団もプロデュースしています。
津野海太郎が演出した劇団
津野海太郎さんは劇団「六月劇場」、「黒テント」をプロデュースしていました。
劇団「六月劇場」は俳優の岸田森さんと女優の樹木希林さんが結成した劇団です。
樹木希林さんは内田裕也さんの奥さんとしてのイメージが強いですが、1964-1968年の2年間、岸田森さんと結婚していました。
「黒テント」は黒いテントを張って地方巡業もする小劇団です。
同時期に活動し、注目を浴びていた唐十郎さんの「状況劇場」、鈴木忠志さんの「早稲田小劇場」と共に小劇場の流行を作った劇団として、演劇史に残っています。
津野海太郎は電子書籍も推進
現在はスペースも取らず持ち運びも楽な電子書籍が普及し、日常にも浸透しています。
しかし、2000年代にインターネットが定着するまでは紙媒体が主流だった出版業界や読者にとって、電子書籍は抵抗がある媒体でした。
そういった時代の中で、津野海太郎さんは自身が編集者と言う事もあったからか、電子書籍に出版社が本格的に乗り出す以前から、電子書籍を推奨していました。
著書の『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』は2010年に刊行された本ですが、電子版が当たり前となった現代でこの本を読むと移ろいゆく文化史を身近に感じる事ができるのではないでしょうか。
津野海太郎の自宅はどこ?
津野海太郎さんは小学4年生から大学生まで、上落合に住んでいました。
西武新宿線の中井駅が最寄り駅になります。
幼少期に遊んでいた空き地が、実は明治から昭和にかけて活動した喜劇王古川ロッパさんの自宅跡地でした。
現在は埼玉県に住んでいると言う情報があります。
津野海太郎の家族(結婚した妻)について
津野海太郎さんは60歳まで独身でした。
しかし、特に独身主義と言う訳ではありません。
ただ、もともと劇団のプロデュースをしていた方なので、女優さんや劇団スタッフとして関わる女性も少なくはない方なので、結婚していなかったとなると独身主義者なのかなと受け取る方がいてもおかしくはありません。
60歳以降の津野海太郎さんのプライベートについて、自身のエッセイに綴っています。
家族について詳細な情報はあまりありませんが、ひとりものではありません。
津野海太郎さん達が作り上げた劇団黒テント♪
謎めいた感じに惹きつけられます^ ^
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津野海太郎の著書に注目
演出家、編集者、評論家として人気の津野海太郎さんについて見てきました。
エッセイは老後の過ごし方について書かれたものが注目を集めていますが、坪内逍遥伝『滑稽な巨人』や『ジェローム・ロビンスが死んだ』、『最後の読書』と言った受賞作品も読みごたえがあり、人気です。
また、津野海太郎さんの経歴を辿ると、実は樹木希林さんは悠木千帆と言う芸名で活動していたけれども、黒柳徹子さんのTV番組出演して芸名をオークションに出品し、その結果樹木希林に改名したと言う様な驚きの事実に行き当たる事もあります。
独自の視点から、書籍や演劇、日常生活など様々な話題について執筆をする津野海太郎さんから目が離せません。
今回は、津野海太郎のプロフや経歴!自宅はどこ?家族(結婚した妻)について!
をテーマにまとめてみました。