シンセサイザー・アーティストとして名高い齋藤久師さん。
シンセサイザーを用いた圧倒的な音楽性によりシンセ番長の異名を誇っていますが、wikiやプロフなどはどのようなものなのでしょうか。
またシンセサイザーを楽器として一躍有名にしたYMOとの関係はどんなものなのでしょうか。
それ以外にも、かつて齋藤さんは訴訟を視野に入れた告発をネットで発表していましたが、それは一体どんな内容なのでしょうか。
今回は、シンセ番長の異名を取る音楽家である齋藤久師さんのwikiやプロフィール、YMOとの関係、齋藤さんが行った告発の内容についてまとめました。
齋藤久師とはミュージシャン
齋藤久師さんは、シンセサイザーをメインとするミュージシャンです。
wikiのようにプロフィールを紹介するならば、以下のようになります。
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- 生年月日…1969年前後であり、年齢は50歳前後
- 出身地…不明(恐らくは関東)
- 活動期間…1991年~
- 愛称…シンセ番長
- となります。
1991年にテクノユニット「GULT DEP(ガルトデップ)」でデビューを果たし、それ以降も様々なクラブ系ユニットに参加しています。
現在では雑誌でのレビューなどを書くといった、音楽業界に従事する仕事も行っています。
齋藤久師の活動や実力
齋藤さんは「GULT DEP」以外にも「8bit Project」や「galcid」などのユニットを立ち上げており、映画音楽からアニメなど幅広いジャンルの音楽を提供しています。
その実力と人気は日本のみならず海外でも高く、日本の「シンセサイザーマエストロ」「シンセ番長」などの愛称で呼ばれています。
2016年には、日本文化庁主催の芸術祭に参加しており、日本を代表するメディアアートの立ち位置を獲得しています。
齋藤久師とYMOの関係
日本におけるシンセサイザーのミュージシャンの印象が強いのは、何といっても坂本龍一さんが所属していた「イエロー・マジック・オーケストラ(通称:YMO)」です。
YMOは1978年に結成し活動を開始していますが、齋藤さんもYMOには多大な影響を受けたことを明かしています。
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齋藤久師の不定期コラム(元33スタッフ)
そんなネタ枯渇して悶々とした小学五年生のボクらの前に、「Yellow Magic Orchestra」というおじさん達が現れたんだよ。「ピコピコ」だよ。
今考えると「おじさん」でもなんでも無いんだよね。20代半ばの若者のバンドだよ。
忘れもしない、柏原くんは朝、いつもより5分も前にウチに迎えに来て「『東風』って知ってるか!?」って息を切らせて熱く語り始めたんだ。
ボクらは、その後 急速にソレに傾倒したんだ。初めて聴く(知る)音に興奮しきってた。電子音。
で、彼らはあまりメディアに露出したり発言したりしなかったので
我々は自ら必死に彼らの事を追ったんだ。(まんまと術中にはめられたんだねw)
引用元:next33(http://next33.com/blog/33/2014/04/04/288.php)
YMOが奏でる衝撃的な音楽に出会うことで、齋藤さんは音楽に目覚めたとも語っています。
その後で、お年玉をはたいて当時発売されたシンセサイザー「SH-2」を購入し、それに没頭したとしています。
齋藤さんにとってYMOは自分の人生を導いた存在と言えるのでしょう。
齋藤久師によるYMOのコピーバンド「Yセツ王」
齋藤さんは1996年に「Yセツ王」というバンドを結成しています。
内容はYMOのコピーバンドであり、YMOと同じ衣装や機材を全て取り揃え、ギャグを交えたパロディーソングを演奏するというものです。
齋藤さんは気分転換や遊びのつもりでバンドを始めたようですが、思いのほかファンが多くつき、2000年にはYMOのカバーアルバムである「ERO MAGIC ORCHESTRA」を発表しています。
さらにYMOのマニュピレーターを務めた松武秀樹さんと知り合うことになった喜びなどを、以下のように語っています。
ファッション/カルチャー/アート分野のVRグローバルアワード NEWVIEW AWARDS 2019
松武秀樹氏とVRコンテンツを共同創作できる権利が与えられるHIDEKI MATSUTAKE Prizeは「Merging Memories」 https://t.co/AjnYOuhsvn— 松武 秀樹 (@logic649) 2019年12月18日
シンセサイザー・カルティズム
90年代半ばになると、一旦自分の中でゴリゴリテクノサウンドに対する熱が落ち着き、「やはりメロディーも必要」との解釈から初心に回帰。大好きだった「YMO」の真似ごとを始めたのはその頃です。最初は冗談のつもりで始めた「Yセツ王」でしたが、オーディエンスの情熱は我々よりもはるかに熱く、気が付くとCDをリリース、それ以上に松武さんを始め多くの素晴らしい人々との出会いをもたらしたのでした。
引用元:Synthesizer(http://www.mc-club.ne.jp/synthesizer/sh_32/01/index.html)
齋藤久師による告発
シンセサイザーのミュージシャンとして活躍している齋藤さんですが、近年音楽界に対する告発と言えるものを行っています。
それは悲しいことに、少年時代からファンであったYMOのマニュピレーターを務めた松武秀樹さんに関するものと言われています。
ガッツリ広めて下さい。機材のリース料で儲けてるから、もう誰もスタジオ呼びたくないって言われてますからね。今書類纏めてますので文化庁に告発しますよ。 https://t.co/3eqM7famyY
— 齋藤久師 (@hisashi_saito) 2017年9月22日
何故私が此処まで憤慨しているか、訳を話しましょう。去年から私自身音楽活動を再開したおり、世界中の音楽家から評価を頂いた頃から4番目の妬み嫉みが始まりました。ありもしない事、私がある会社のお金を横領していると触れ回っております。今まで黙ってましたが訴訟を起こす事にしました。 https://t.co/B7f6n2XNjm
— 齋藤久師 (@hisashi_saito) 2017年9月22日
齋藤久師の告発の相手
齋藤さんは名前を完全には明かしていませんが、その方に対して「4番目」「キノコ」というワードを使って表現しています。
ネットでは、「YMOに4番目に入った松武さん」であるとした解釈がされています。
も一つ言わせてください。ギャラあやふやなまま私に自分のREMIXをさせました。もちろんギャラ0。驚いたのは、その音源を我が物顔でステージで演奏(ボタン押すだけ)しているのを、私客席で見てて呆れてモノも言えなかった。本来彼の立場はそう言った使用料を払わず不正を根絶する役目なのに。 https://t.co/Oif2ebbhM7
— 齋藤久師 (@hisashi_saito) 2017年9月23日
松武さんは日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ(通称:JSPA)の理事長を務めています。
JSPAはシンセサイザープログラマーに関する権利を保全しようとする団体です。
もののついでに言っときますが、プリセットの音色何百も作らせといて自分がやった事にしてギャラ無しかよ!佐村河内より悪質だよな。文化庁もなんとか功労者とか出していいんかい?そんな詐欺師に。ちゃんと物事を調べてから与えるべきだよ。ハッキリ言って今後も更に暴露しつづけるよ。
— 齋藤久師 (@hisashi_saito) 2017年9月22日
2017年9月に文化庁が主催する「第20回文化庁メディア芸術祭」で「功労賞」を受賞しており、こうした数々の符号の一致は、松武さん以外に当てはまることはないでしょう。
齋藤久師の告発の内容
告発内容は
◯齋藤さんが作ったシンセサイザーの音に対してギャラを支払わない
◯齋藤さんの活動に対して誹謗中傷を行っている
とした内容がメインであり、また現在の松武さんの音楽に対する姿勢も批判しています。
実際のところはどうなるか、は現状では不明であり、裁判などの審判なども現状では報道がされておらず、不明のままとなっています。
両者の間で秘密裏に和解が成立したのかもしれませんが、現状では奇妙な疑惑が残ったままの状態である、と言えます。
今後、両者のいずれかから真相が明かされることがあるのか、注視していく必要があると言えます。
齋藤久師の今後の活躍に注目
シンセサイザー・マエストロとしてその実力が高く評価されている齋藤久師さんですが、かなり波乱万丈な人生を送っていることが解ります。
とは言え、その音楽が私達を楽しませてくれることには違いはありません。
今後もまたミュージシャンとして活躍することを期待したい所です。
今回は、シンセ番長の異名を取る音楽家である齋藤久師さんのwikiやプロフィール、YMOとの関係、齋藤さんが行った告発の内容についてまとめました。